「下叶水遺跡」カテゴリーアーカイブ

下叶水遺跡(11月20日〜11月24日)


横川ダムの見学会に伴い、遺跡の見学を行いました。あいにくの雨で、屋内での遺物の展示となりましたが、約100名の方に来ていただきました。


調査も無事終了し、最後に調査事務所内の器材の撤収・清掃を行ないました。


11月22日(水)をもって、下叶水遺跡の発掘調査の全工程が無事終わりました。ご尽力いただいた作業員さん、関係機関の方々にお礼を申し上げます。


下叶水遺跡(11月13日〜11月17日)


SG1の河跡堆積土の除去作業の様子です。遺物の包含層から、土器や石器を主にした遺物が出土しています。


柱が動かないように、川原石でしっかりと根固めした柱穴(SK96)です。石の詰め方などを把握するために、石組みを半分だけ外し、掘り下げていきます。


前の写真の柱穴の断面を確認しました。この柱穴は、拳ほどの大きさの石を上面に敷き詰め、下層に大きな石を詰め込んでいます。


下叶水遺跡(11月6日〜11月10日)


調査区完掘の空中写真
今週は、ヘリコプターを使って上空からの遺跡の写真撮影を行いました。
上空からの写真では、調査区中央を斜めに走る川跡や、その両側に柱穴や土坑などの大小の穴が密集しているのが分かります。
県内では少ない縄文時代後・晩期の集落構成が分かる点で、重要な資料となります。


これは河跡(SG1)付近の集落域を真上から撮影したものです。河跡の右側では硬い礫の地盤にもかかわらず、遺構が多く存在します。一方で左側では河跡から離れていくにつれて、遺構が少なくなっていくことが見受けられます。


下叶水遺跡(10月30日〜11月2日)


河跡(SG1)東側の遺構の完掘作業に入りました。ここは石組みの柱穴や土坑が密集しているので、慎重に作業を進めているところです。


土壌の分析のため土を採取している様子です。土の中に含まれる花粉などを調べます。これらは当時の自然環境などを知る手がかりとなります。


今週の水曜日に基督教独立学園の皆さんが遺跡の見学にみえました。出土した遺物の説明に熱心にメモを取ったり、見聞きした遺構や遺物について質問が飛び交いました。


下叶水遺跡(10月23日〜10月27日)


10月29日(日)に現地説明会を開催しました。地元小国町や県内の方など約85名の参加があり、宮城県や新潟県の研究者も来ました。
今回の調査成果は、県内(東北地方含む)では稀少な集落構成の分かる遺跡が発見された事、多量の遺物内容から新潟県(北陸地方)などとの関わりが分かりそうな事があげられます。


今週は遺構の完掘作業を行いました。川沿いの集落の縁辺には、フラスコ状や袋状を呈した土坑、根固め石を持つ柱穴群がまとまって分布しています。


下叶水遺跡(10月16日〜10月20日)


先週に引き続き、遺構の完掘作業と河跡(SG1)の土層観察に残した土の層の掘り下げをおこないました。


河跡(SG1)の土層を掘り下げたところ、扁平な石に文様が施された岩版(がんばん)が出土しました。土偶などと同じくに信仰的な遺物と考えられます。


底径が90cm程のフラスコ状の土坑です。底は平らで、理科の実験で使うフラスコの様に、入口よりも底の方が広くなっています。このような形の土坑は、木の実などの食物を蓄えるのに使った貯蔵穴と考えられています


下叶水遺跡(10月10日〜10月13日)


今週から遺構の完掘作業に入りました。遺構断面の記録作業が終わり、半分にした遺構内の埋め土をすべて掘り下げていきます。


完掘した柱穴の状況です。くぼんだ範囲に柱がすえられ、周りを河原石で敷き詰めて、しっかりと固定した様子がわかります。


河跡(SG1)西側の完掘した柱穴群です。前の写真であったように、他にも石組みの柱穴が確認されました。


下叶水遺跡(10月2日〜10月6日)


今週から調査区南側の遺構精査に入りました。南側は固い礫の地盤が広がっており、掘り下げ作業も大変です。


南側の精査状況です。礫の地盤に黒い土が帯状に広がっています。ここには最近まで集落があり、住宅の基礎であるコンクリートや近代の陶器などが多く出土します。


下叶水遺跡(9月25日〜9月29日)


北西端の礫の地盤になります。右側に見える黄色のシルト地盤と同じように、柱穴や土坑など遺構の広がりが見えます。


礫の地盤で確認された柱穴群です。遺構の半分だけ掘り下げると、掘り込みの深い柱穴が弧状にまわっており、竪穴住居跡の可能性もあります。


調査区東側では河跡(SG2)の下層から埋設土器が出土しました。河跡下の柱穴や土坑などの遺構を掘り込んでおり、それより新しい時期に埋設土器があったことがわかります。


下叶水遺跡(9月19日〜9月22日)


河跡(SG2)の下から検出された遺構の精査を行いました。右側の河跡から15m程の範囲に遺構が広がっている様子がわかります。


河跡(SG1)近くの遺構の集中域で遺構を掘り下げてみると、石組みの柱穴や大型の土坑が確認されました。河沿いに当時の集落が広がっていたことがうかがえます。


調査区の東側で、右側の遺構は河跡(SG2)の下層です。河跡(SG1)から遠ざかると遺構が希薄になっていきます。