「作野遺跡第3次」カテゴリーアーカイブ

作野遺跡(8月2日~8月3日)


SG1谷跡の谷底の遺物出土状況です。
谷底の中央部の細長い凹部の流路内に集中しています。


なかには、半分以上原形をとどめた縄文土器と共に、
写真左側に、長さ約30cm~40cmの折れた石棒が先端を下にして出土しました。
今回の調査で石棒や石刀は、斜めに立って出土することが多く、
お祭りの際に地面に突き刺したものかもしれません。


谷底の砂地にへばり付いて出土した縄文土器は、最も古い土器群の一つで、
縄文時代晩期の中頃(約2,500年前)と考えられます。
谷の周辺にはこの頃から人が住み始め、この時期の終わり頃(約2,300年前)には谷が埋没したようです。
約200年間に渡る当時の人々の生活品や装飾品の廃棄場、水辺のお祭りの場として利用された事が分かりました。
調査は今週で終了です。
谷跡からは、縄文土器や石器の他に、ヒスイ製の勾玉や玉、精巧な石刀や石棒、
土偶や土冠など当時の多様な遺物が出土し、大きな成果を得ることができました。


作野遺跡(7月26日~7月30日)


今週から谷跡の本格的調査に入りました。
谷の堆積土(上・中・下・最下層)ごとに調査を行っています。
下層の状況で、作業員の間にある赤いものが縄文土器です。


谷の下層からは、土冠(どかん)も出土しました。
土冠は、冠型をした土製品のことで、本来は石製(石冠:せっかん)が一般的で、模倣品と考えられます。
形状や民族例などから土冠や石冠と呼ばれていますが、他県では人体表現を刻む事例から、
棒状の突起が男性、扁平な部分が女性を表し、お祭りに使われた道具ともいわれています。


8月1日の日曜日に調査説明会を開催しました。
暑い中、市民の方が約90名も見学に来られました。
発掘した遺跡や遺物展示を通して、地元の歴史にふれられていきました。


作野遺跡(7月20日~7月23日)


調査区中央~北部の岸辺(平場)の遺構の掘り下げを行いました。
岸辺の遺構は、写真手前の谷から約5m~10mの間が希薄で、
その北側(写真中央~奥)に、大型の柱穴や土坑が確認されました。


調査区北部の土坑から出土した、蜂の巣状の窪みがある凹石(くぼみいし)です。
凹石は、一般にドングリやクルミなど堅果(けんか)類を割るのに用いられ、
大きさが10cm~15cmの川原石で、窪みも1個か2個あるのが大半です。
今回の出土品は、大型で窪みの数も多く、一般的なものと異なります。


縄文時代の谷跡の出土品です。新潟県糸魚川産の緑色のヒスイ製の玉です。
玉の中心に約3mmの孔(あな)が開けられ、首飾りなどの装飾品と考えられます。


作野遺跡(7月12日~7月16日)


今週前半は、先週に続き谷跡のトレンチ(試掘溝)調査を行いました。
トレンチ内からは、土圧で潰れた土器や石器などが多数発見され、
それらを取り上げながら谷底まで掘り下げました。


谷の堆積は、上・中・下層の大別3層に分けられ、
縄文時代後葉~最終末(約2500年前)の遺物の変遷を知ることができそうです。
中層から出土したほぼ完形の深鉢です。


今週後半は、谷の北側の平場(岸辺)の遺構や倒木跡などを半分掘り下げました。
その際、出土したヒスイ製の勾玉です。
ヒスイは、日本では新潟県糸魚川でしか産出しないので、交流も注目されます。


作野遺跡(7月5日~7月9日)


作野遺跡第3次調査が始まりました。昨年度の調査区から南西側の市道部分を調査しています。
写真は、調査区の表土(現耕作土)を除去し、遺構を検出した状況です。
写真手前の人が立っている黒い部分が縄文時代の谷跡になります。


谷跡からは、多量の縄文土器や石器、石刀などが出土します。
写真は、谷の深さや層位、遺物量を把握するためのトレンチ(試掘溝)を掘り下げています。
写真手前左角にみえる赤いものがほぼ1個体になる縄文土器です。


谷跡から出土した石刀(せきとう)の柄(つか)の部分です。
石刀は、女性を表す土偶に対し、男性を表現し、お祭りに用いられた道具ともいわれ、
谷跡からは他にも1点出土しています。