「山形城三の丸跡第14次」カテゴリーアーカイブ

山形城三の丸跡14次(11月24日~28日)

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最後の調査区の埋戻しも完了しました。

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出土した遺物や発掘器材の整理などの撤収準備を行いました。
半年間お世話になった調査事務所ともお別れです。

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発掘作業員の方々のご尽力で無事調査を終えることができました。
また関係各所の皆様、近隣の皆様、ご協力ありがとうございました。


山形城三の丸跡14次(11月17日~21日)

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発掘調査で出土した遺物を、ひとつひとつきれいに洗っています。
泥などで見えなかった模様などがはっきりとわかってきます。

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重機による埋戻し作業が終わったO-2調査区です。
この後、砕石を敷いてきれいに均(なら)します。

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O-3調査区の埋戻しを重機を使って行っています。
この調査区からも、様々な出土品が見つかりました。


山形城三の丸跡14次(11月10日~14日)

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O-2,3区の遺構面の下には、一面に黒い地層が広がっています。
この地層からは土師器(はじき)の甕(かめ)など、古代の遺物が多く見つかります。

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O-3区南のの河川跡の断面を観察するためにトレンチを掘りました。
20cmほど掘り下げると水が湧き出してきます。
このあたりは現在も地下水位が高いようです。

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その河川跡近くの土坑(どこう=穴)の底には、太さ約2cm、
長さ10~20cmの木が整然と並んでていました。
人為的なものかどうかは不明ですが、
記録を取ったうえで1本ずつ慎重に取り上げます。


山形城三の丸跡第14次(11月4日~7日)

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11月に入って天候が不安定になりつつあります。
雨が降った翌朝の作業は雨水の除去からはじまります。

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発掘調査も佳境です。
貴重な好天候の日にできるだけ作業を進めます。

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最後の調査区、O-3区の完掘状況です。
今後は下層の調査を行います。


山形城三の丸跡第14次(10月27日~31日)

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0-3区の土坑から、お金(洪武通宝)が出土しました。
このお金は、お隣、中国に明ができた年、すなわち、
明・初代皇帝・洪武帝の洪武元年(1368年)に発行されたもので、
永楽通宝とならび明銭の代表的なお金です。

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洪武通宝の一部には裏面に鋳造地を示す文字があります。
「浙」「福」「桂」「北平」などの文字です。
この出土銭にも「福」の文字が刻まれています。

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0-2区の全景写真です。
この調査区の調査も終わりに近づいています。


山形城三の丸跡14次(10月20日~24日)

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O-3区の遺構検出のようすです。
箸(はし)が立てられているところは遺物があるところです。
調査区南側は土が軟らかいうえに遺物が多く出土しているので、
両刃鎌(りょうばがま)という道具を使って、慎重に土を削っていきます。

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O-3区の遺構検出が完了しました。
大小の土坑(どこう=穴)や河川跡と思われる遺構が確認できます。
南側(写真上)の河川跡と、北側(写真下)の土坑から、遺物が多く見つかっています。

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北側の土坑の精査を始めました。
写真中央の遺物は須恵器(すえき)の杯(つき)の底部のようです。
糸を使って「ろくろ]から切り離した跡が確認できます。
山形城ができた時代よりずっと前の古い時代のもののようです。


山形城三の丸跡第14次(10月14日~17日)

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今年5月から始まった発掘調査ですが、
いよいよ最後の調査区になりました。

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重機での表土除去を終えて、遺構検出作業を行っています。
砂地や粘質土などさまざまな土質があるので、
平坦にきれいに削るのは技術がいる作業なのです。

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限られた調査期間のため、
複数の作業を狭い場所で行う場合もあります。
ここでは遺構精査と図面作成を並行して進めています。


山形城三の丸跡第14次(10月6日~10日)

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N-2区の土坑から、猿の飾り瓦が出土しました。
猿は、「去る」の語呂合わせで、悪運が去る、魔物が去るとして魔よけ、災難、
病気を寄せ付けないお守りとされ、屋根の上に載せ、その家を守っていたようです。

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完掘したN-2区の全景写真です。
今週で、B-4区、N-1区、N-2区の調査が終了しました。
今度は、O-1,2,3区の調査が始まります。

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これから調査を行う、O-1区の検出遺構を白線でなぞっています。


山形城三の丸跡14次(9月29日~10月3日)

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N-2区南東隅にある土坑(どこう=穴)からは、一段掘り下げる度に、
瓦や陶磁器など多くの遺物が出てきます。
遺物は一つ一つ番号を付け、記録を取ったうえで慎重に取り上げます。

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同じN-2区東部のほぼ中央にある直径約2mの土坑も、
掘り下げると瓦が次々に現れます。
こちらは比較的原形をとどめた大きな破片が多いようです。

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その土坑から端面の文様が良く残った軒平瓦(のきひらがわら)が見つかりました。
中心飾りが「五葉文(ごようもん)」で、唐草文(からくさもん)が2回反転しているタイプです。
前にHPで紹介した同区北東部で出土したものとは異なる時代のものです。


山形城三の丸跡14次(9月22日~26日)

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現在調査しているN-2区は、遺構検出面や精査中の遺構から
様々な時代の遺物が数多く出土しています。

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N-2区にも瓦が大量に出土した遺構があります。
遺物の出土地点を図面に記録するための作業をおこなっているところです。

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大量の瓦のほとんどは小さく割れた破片です。
鋭い剥片状の破片も大量に混ざっていたので、
この遺構の中でさらに砕けたのだと思われます。