「整理作業の様子」カテゴリーアーカイブ

整理室からこんにちは(清水遺跡第1~7次)


村山市に所在する清水(しず)遺跡は、平成22~26年度に発掘を行った遺跡で、奈良時代から平安時代にかけての集落跡になります。


清水遺跡では、大量の土器が捨てられた溝跡が発見されています。
そこから出土した土器を洗ってみたところ、墨で文字が書かれているものがたくさんあることがわかりました。


これらは墨書土器(ぼくしょどき)と呼ばれ、出土状況から祈りや祭りに関して使用されたものと思われます。
中でも注目されるのは「縄」と書かれたものです。
「万」や「千」、「王」といった語句は、墨書土器に記される祈りの文字として多く出土するのですが、「縄」の字はほとんど出土しません。

全国的に同じ文字を探すと、富山県の任海宮田(とうみみやた)遺跡からのみ、大量に「縄」の墨書土器が発見されていました。

奈良時代から平安時代にかけての山形県では、国家的な開発計画のため全国からたくさんの人びとが移住させられたことがわかっており、北陸からの移民も多かったとされます。
この「縄」が意味するものが人名なのか地名なのかはわかりません。
とはいえ、ふたつの遺跡で見つかった「縄」の字のつながりは、富山から山形へやってきた人びとの存在を思わせる発見となりました。


整理室からこんにちは(上竹野遺跡)

今回は平成27・28年度に発掘調査を行った上竹野遺跡(大蔵村)の整理室からです。


上竹野遺跡では、昨年の第2次調査で弥生時代の土器棺が発見されています。現在整理作業では、この土器棺の復元を進めているところです。


土器棺は、取り上げて洗浄しましたが、バラバラの破片となっています。まず、破片を並べて元の形を確認していきます。


破片のつながりを確認した後に、土器の底部から破片を接合し組みあげていきます。大型の土器なので2人がかりの作業です。


ほぼ全体の形がわかるようになりました。高さ50cmを超える大きな壺です。完成までもう少しです。

 


整理室からこんにちは(八反遺跡)

八反遺跡の一括出土銭7986枚の画像調整、銭銘判読作業が終了しました。

古銭1枚につき、文字面、裏面、厚みの中央を通る面の3枚の画像を撮影しています。中央面を撮影することで、古銭内部の様子も観察することができます。

全ての銭銘を判読したことで、いろいろなことがわかってきました。

写真左上は7986枚の中で最も古い時代の古銭です。中国後漢時代の五銖(ごしゅ)というお金で約2,000年前のものです。

左下は最も新しい古銭です。至大通寳(しだいつうほう)という元時代のもので、西暦1310年に作られました。この古銭が見つかったことで、八反遺跡の一括出土銭は、少なくとも1310年よりは新しい時代に埋められたことが分かりました。

中央上下は日本で作られた和銅開珎(わどうかいちん)と万年通寳(まんねんつうほう)です。それぞれ西暦708年、760年の奈良時代に作られました。中世の日本では主に中国から輸入されたお金が使われていましたが、日本の古い時代のお金も流通していたことが分かります。

写真右上下は島銭(しません)と呼ばれる生産地不明の古銭です。中国のお金をモデルにして日本国内で鋳造されたと考えられています。淳化元寳(じゅんかげんぽう)、元化通寳(げんかつうほう)と読むことができます。

今後は判読したデータを元に、各古銭の比率などより詳しい検討を行なっていきます。


整理室からこんにちは(馳上遺跡第8次)

今回は馳上遺跡第8次(米沢市)の整理室からです。
◆調査の様子はこちらからどうぞ◆


さて、これは何でしょう?
そう、昆虫です。しかも羽虫です。
通常昆虫などは土の中で分解されてしまい、遺跡で見つかることはあまりありません。
それなのになぜ残ったのかというと、漆に閉じ込められたためです。虫そのものは分解されて、漆に虫の痕跡だけが残っている可能性もありますが、今回のように羽虫が見つかることはとても珍しいといえます。


しかも、7匹!(黄色の〇の部分)
この漆は今から約1,200年前の土器に付着しています。土器に入れられた漆の中に虫が入り、そのまま固まってしまったようです。
昆虫は種によって住む環境や、発生する時期が異なります。
詳しい分析はこれからですが、この昆虫の存在により、当時の遺跡環境や漆を使用した季節を推察することができます。

 


整理室からこんにちは(羽黒神社西遺跡)

羽黒神社西遺跡では、平成26年度の第1次発掘調査で、4点の土笛と考えられる袋状土製品(ふくろじょうどせいひん)が発見されました。


そのうち2点は、無傷の状態、あるいは一部のみが欠けているものでした。これらの袋状土製品は、閉じた形状をしていますので、このままでは断面や内部の状態を調べることができません。
そこで、製作技術を調べるため、東北大学学術総合博物館の佐々木理准教授のご協力により、博物館のX線CTスキャンを使い2点の袋状土製品の画像解析を行いました。
CTスキャンを実施することにより、土製品を壊さなくても、断面や内部を観察することが可能になります。


袋状土製品①は、断面の画像から、1枚の粘土の板をギョウザの皮を包むように、上部で粘土板の端と端をつなぎ合わせていることがわかりました。上部にあけられたあなは、上から何かが押し込まれたことを示す粘土のまくれ上がりが認められ、粘土をつなぎ合わせたのち、上部の中央に上から何かを押し込むことで開けられたものであると判断されます。


左側の端部の断面をみると、なんと表面では見えなかった、2~3mm程度の小さなあながあることがわかりました。
おそらく、携帯するために紐を通すためのあなでしょうか?
しかし、どうやら模様をつけるときに、あなが埋められてしまったようです。なぜ、あなが埋められてしまったのかは、残念ながら不明です。右側は残念ながら欠けていますが、もしかするとあながあったかもしれません。


袋状土製品②は、①と異なり、粘土の帯や小さな板をパッチワーク状につなぎ合わせて作っていることがわかりました。


②の端部は縁をきれいになだされており、①の端部に見られたような小さなあなはありませんでした。

現在では、X線CT画像解析という最新技術を活用することによって、貴重な遺物を壊さなくても、断面や内部の形状などの様々な情報が得られるようになりました。
また、袋状土製品①のように、表面上では観察できなかった、約4300年前に隠されてしまった痕跡をも見つけることができました。
このように、X線CT画像解析では、直接目に触れることができなかった隠された真実を、わたしたちは知ることができるようになったのです。
X線CT画像解析が進むことで、これまで知られてこなかった土偶やさまざまな土製品の技術や、それらに込められた過去のヒトの意図が解明されるかもしれません。

 

 


整理室からこんにちは 速報会直前特集③(壇山古窯跡群)

壇山古窯跡群(川西町)は、隣接する大神窯跡(米沢市)とともに、奈良時代の終わりから平安時代初頭(8世紀末~9世紀初頭)にかけて営まれた古代の須恵器窯跡です。
★今年度の調査の様子はこちら

この窯跡群から出土するもので特徴的なのは、茶碗形で、外形の腰の部分に稜を持ち、そこから角度を変えて立ち上がる「稜碗(りょうわん)」と呼ばれるものです。このような形は、当時、仏具などとして利用された金属製の碗を須恵器に置き換えてつくられたものと考えられています。
壇山古窯跡群からは、この稜碗が多数出土していることが特徴で、今年度の第9地点の調査でも、総数50点を超える稜碗が出土しました。

今回の調査で発見された4基の窯跡のうち、一番古い窯跡から出土する稜碗は、稜がはっきりとしており、全体的に均整の取れたプロポーションが特徴です。

 

対して一番新しい窯跡から出土したものは、稜がはっきりとしないものが多く、ロクロ台からの切離しに糸を用いるものなどが見られ、形態に時期差がみてとれます。

また、他の稜碗とは明らかに異なる大型のものが2点出土しています。

これらは整った器形に加え、稜の部分が段になるもので、まさに金属器をまねしてつくられたものといえるでしょう。


参考:奈良時代の金属製の蓋わん
東京国立博物館「研究情報アーカイブス」よりhttp://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0005202

金属製品に似せて土器をつくることは、飛鳥時代から奈良時代(7~8世紀)にかけての全国的な流行です。容易に手に入れることできない金属製のうつわにあこがれ、このようなものをつくったのでしょう。稜碗は限られた時期にしかつくられていないもののため、この時期差を読み解く事ができれば周辺の遺跡をさらに細かく分析することが可能になるでしょう。

 


整理室からこんにちは 速報会直前特集②(上竹野遺跡)

上竹野遺跡では、住居跡出土の弥生土器の接合を開始しました。
★今年度の調査の様子はこちら


同じ個体と思われる土器の破片を、形や文様・縄文、色合いなどを手がかりに集めていきます。根気がいる作業です。

同じ土器の破片を接合できるように並べていきます。写真は弥生時代の高坏です。変形工字文と呼ばれる、この時期に特徴的な文様が描かれています。上のお皿状の部分はある程度復元できそうですが、下の台の部分は失われているようです。全部破片がそろうことはなかなかありません。


破片が集まって復元できる土器は、接着材やエポキシ樹脂で接合し元の形に復元していきます。大形の鉢を復元しているところですが、ベテランさんのテクニックが必要な作業です。


整理室からこんにちは 速報会直前特集①(馳上遺跡第8次)

「山形県発掘調査速報会」がいよいよ2月26日(日)に迫っています。当センターからも今年度に発掘調査した遺跡の発表があります。今週はそれらの整理作業の様子をご紹介します。

馳上遺跡(米沢市)では木製品と呼ばれる木で作られた道具が多く見つかりました。
★今年度の調査の様子はこちら


木の道具は腐ってしまい残らないことがほとんどです。この遺物は河川跡から出土したため水分を含み、真空パックの状態で保存されていたので腐らずに残っていました。貴重な遺物といえます。その木の道具の実測を行っています。物の形を図面として残す作業です。


実測図を作っている途中の状態です。遺物は馬具の鞍の部品だと思われます。県内ではあまり見つかっていません。こうした木の道具では他に皿や櫛、箱の様なもの、鍬や弓などが見付かっています。


他に特徴的な遺物として墨で土器に字を書いた墨書土器があります。書かれている文字の多くが「大王」や「奉」になります。その他に「在」、「吉」、「万」などもみられますがあまり多くはありません。写真の右に写っているのは硯の破片です。こうした道具を使って文字を書いていました。写真下の土器は文字を刻んで書いた刻書土器になります。この二点は焼いた後に文字を削りだしています。
ここで紹介した土器は速報会で展示します。是非見に来てください。


整理室からこんにちは(八反遺跡)

八反遺跡で見つかった一括出土銭調査の続報です。

X線CTデータを解析するソフトを使用して、古銭1枚1枚の断層画像を撮影する作業が終了しました。
撮影が終了したことで、全部で7,986枚の古銭が納められていることが分かりました。

古銭を綴った単位である緡(さし)の数は、全部で80本と前回の投稿でお知らせしましたが、それぞれの緡毎の古銭の枚数も判明しています。80本の緡のうち、70本が100枚ちょうどであることがわかりました。
残りは98~102枚の緡が7本、96枚が1本、94枚が1本、93枚が1本です。
ほとんどの緡が100枚を意識しているようです。

撮影した画像は、向きや色調等を調整して、文字を読みやすくしていきます。
調整が終了した50枚が下の写真です。様々な種類の古銭が含まれていることが分かります。

今後は残りの断層画像の調整作業を行ない、その後いよいよ古銭の銭銘判読作業に取り掛かっていきます。


整理室からこんにちは(馳上遺跡)

今回は馳上遺跡の整理室からこんにちはです。
遺跡は米沢市にある古墳~平安時代の集落遺跡で、当時の河川沿いに営まれた50軒以上の住居跡が見つかっています。
今年も発掘調査を行っていますが、平成21~25年に調査した分の成果を来年3月に刊行する予定です。
報告書刊行に先駆けて、集落の最盛期である奈良・平安時代の特徴的な遺物をいくつかご紹介します。

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前回の蝉田遺跡と同様、たくさんの墨書土器が出土しています。
最も多いのは「奉」の略字と考えられる「夲」という文字で、約70点確認できました。
神様へ食物を奉って祈るときに使われた器と考えられます。

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文字を書くのに欠かせない道具のひとつが硯(すずり)です。
「円面硯」という丸いかたちのものや、皿・蓋などを硯に転用したものがたくさん出土しましたが、これは変わったかたちをしています。
もともと鉢のかたちにつくった器を窯で焼きあげる前に分割し、硯につくりかえた非常に珍しいものです。

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文字を書く道具には、墨・硯のほかに木簡をけずる小刀やこれをとぐための砥石なども必需品でした。
これは、とぎへった砥石の一端に穴をあけ、約2.5cm四方の平らな面に記号のような点や線が刻まれています。
ハンコのような使われ方をしたのかもしれません。