「東熊野苗畑遺跡」カテゴリーアーカイブ

東熊野苗畑遺跡(11月29日~11月30日)


発掘調査の一切が終了しました。
現場近くの機材庫に置いてあった機材を、
清水北発掘調査事務所プレハブに運び込みました。


調査課長から作業員の皆さんへ、
これまでの作業への感謝の言葉がありました。


最後に、東熊野苗畑遺跡の調査にあたった全員で、現場にて記念写真を撮りました。
調査では、調査区内にたまる水との格闘が多かったのですが、
古代における河川付近での生活の様子や、
古代から縄文にいたる古環境に関する資料が得られるなど、
大きな成果が上がりました。調査に携わった皆様に感謝申し上げます。


東熊野苗畑遺跡(11月22日~11月26日)


発掘調査終了まで残り1週間あまりになりました。
河川跡の完掘をめざし、遺構の精査を続けます。


拡張した北東部から出土した大量の土器の破片は、
出土位置はもちろん、形状や向きなど出土した状態を正確に記録します。


拡張区北東部Eトレンチの壁際から出土した須恵器の甕(かめ)は、
首の部分もよく残っていました。


土器が集中して出土した場所のすぐ隣の河川跡からも
土器の破片がたくさん出土しました。
これは、ほぼ完形の須恵器の杯(つき)です。


土器が集中して出土した拡張区では、
精査・記録・遺物の取り上げといった作業を、
それぞれのチームが連携をとりながら、効率よく進めます。


調査もいよいよ最終段階になりました。
26日(金)には、専門業者に委託して
ラジコンヘリを使った空中写真を撮影しました。
調査員もモニターを見ながら、指示を出しています。


東熊野苗畑遺跡(11月15日~11月21日)


今週も、主に河川跡の掘り下げ作業を行いました。


河川跡の下層からは縄文土器が出土しました。
しかし、摩耗状態などから、ここで廃棄されたものではなく、
上流から流れてきたもののようです。


河川跡の上層からは平安時代の遺物が出土します。
そばにある竪穴住居跡の住人が廃棄したものでしょうか。


トータルステーション(測量機器)を使って、
遺物の出土地点を記録していきます。


11月21日(日)は発掘調査説明会でした。
109人もの方々にご来跡いただきました。
大勢の方々に発掘調査の成果を披露でき、
心より御礼申し上げます。


東熊野苗畑遺跡(11月8日~11月12日)


河川跡から出土した土器の破片です。
表面はかなり摩耗していて、川の中を流されてきたものと考えられます。


拡張部分で検出された住居跡(ST10)の精査作業をしています。
まだ、床面は確認できていないので、来週以降も引き続き精査を行います。


拡張部分で検出された火山灰です。
ここでは広範囲に分布していることが確認できました。
箸の立っている部分には土器の破片があります。
ほぼ、土師器・須恵器のようです。


東熊野苗畑遺跡(11月1日~11月5日)


引き続き河川跡を掘り下げていきました。
木や木の実などがたくさん出土しました。


遺跡の広がりを調べるために、調査区より西側に6か所のトレンチを設けて、
掘り下げを行いました。


調査区の南側を拡張したおかげで、これまで一部分しか確認できなかった住居跡(ST10)は、
全体の規模がわかるようになりました。


拡張区南西側では、須恵器の破片がまとまって出土しました。
大きな甕の肩部にあたります。


測量器を2台使って、一気に測量図の作成を行いました。


順次、河川跡の掘り下げを進めていきます。
水、泥、砂、残存した流木との闘いですが、
ときおり顔を出す土器の破片や石器が、
苦労を和ませてくれます。


東熊野苗畑遺跡(10月25日~10月29日)


新たに表土を除去した北側拡張区の面整理を始めました。


拡張区の遺構検出を始めて間もなく、
土師器の破片や須恵器の破片がまとまって出土しました。
右下には焼土が見られ、住居跡の可能性があります。


10月27日朝、調査区から仰ぐ村山市の名峰・甑岳(こしきだけ)に初雪が降りました。
今年の調査期間もあと残り1か月・・・いよいよラストスパートに入ります。


東熊野苗畑遺跡(10月18日~10月22日)


河川跡の土層断面図を作成しています。
今週は記録作業に重点を置いて作業しました。


奥では河川跡の拡幅をすすめ、
手前では土層の特徴と堆積状況を観察して記録しています。


河川跡には十和田火山のものとみられる
灰白色の火山灰が厚く堆積しています。


河川跡の各層からサンプルを採集しました。
調査終了後に、理化学分析を行う予定です。


竪穴住居跡が見つかった
調査区の北西部分で拡張作業を行いました。


東熊野苗畑遺跡(10月12日~10月15日)


調査区の北西側で検出された掘立柱建物跡の精査作業を行っています。
精査の結果、柱痕が確認されたものもありました。


測量機械(トータルステーション)で遺構の平面記録を作成しています。
記録作業も発掘調査の中で重要な仕事です。


これは調査区の中央部にある河川跡で出土した縄文土器です。
口縁部がしっかりと残っています。


東熊野苗畑遺跡(10月4日~10月8日)


Bトレンチで出土した多くの植物遺存体(流木)について、
それぞれの樹種を調べるために、一部分を切り、サンプリングを行いました。


調査区南側の河川跡の一部分を掘り下げました。
河川跡の堆積層を検討したところ、河川が埋没し湿地帯になったときに、
灰白色火山灰が降り積もったことが判りました。


Bトレンチでは、植物遺存体のサンプリングを行ったのちに、
さらに掘り下げを行いました。


Bトレンチの河川跡岸部付近では、縄文時代中期の土器が出土しました。
土器は上流部から流されてきたと考えられますが、
おそらく、縄文時代の生活の痕跡が、この河川跡の近くにあったと思われます。


Cトレンチの堆積層を調べるために、壁沿いを深く掘り下げました。
河川跡の下には、より古い時代の、植物遺存体を多く含む黒褐色粘土層が現れました。
河川が流れる以前には、湿地帯があったと考えられます。


東熊野苗畑遺跡(9月27日~10月1日)


「The 排水」・・・河川跡の遺跡のため、
雨の日の翌日は調査員・作業員総出の排水作業から始まります。


少しでも水はけを良くするために、排水溝を掘りました。
作業員の手仕事ですが、そのスピ-ドと丁寧さには驚きます。


河川跡を掘り下げると、埋もれた樹木が出てきました。
加工された跡はあるか?木の種類は?埋もれた時代は?
今後の調査が待たれます。


出土した樹木は、乾燥による損傷を防ぐために、
ラップでくるんで保護し、さらに河川跡の調査を進めます。