北向遺跡第4次(6月26日~30日)


今週も梅雨空の合間に調査を進めました。手前から住居跡、土坑、柱穴と様々な遺構が見つかっています。


今回の調査は平安時代の遺構が多いのですが、この遺構は次の時代、鎌倉~室町時代の墓の跡です。この場で火葬にしたもので、木炭の下から人骨が出土しています。いったいどのような人物が葬られたのでしょうか?


新庄城二の丸跡(6月19日~23日)


焼土層にトレンチを入れて、下の面(第2面)の確認を行いました。江戸時代の面と思われます。


学校建物の柱基礎の断ち割りを行いました。10~20cm大の丸石が詰められ、近世や近代の遺物が出土します。


第1面の調査を終了したため、重機で焼土層を掘削し、第2面を検出していきました。


北向遺跡第4次(6月19日~23日)


今週は掘り終えた平安時代の建物跡の床下から出土する遺物を回収し、建て替え前の柱穴などを探す作業を行いました。


建物の床面に掘られた穴からは、土師器の甕が立った状態で出土しました。


別の場所からは、古墳時代の須恵器が見つかりました。平安時代の建物とは数百年の開きがあります。


新庄城二の丸跡(6月12日~16日)


焼土層がはっきりと見えるように掘り下げを行いました。


焼土層からは炭化した米の塊が多く出土します。戊辰戦争で焼失した米蔵に由来するものと思われます。


ドローンで、第1面の写真撮影を行いました。かつてここにあった、新庄北高校の建物基礎があちこちに見られます。建物によって壊されていない所には焼土層の広がりが確認されます。


Yamagata Prefectural Center for Archaeological Research