
今週は雨の降る日が多い一週間でした。合間を縫って作業を進めました。昨年度に調査を行った館跡の東から、今年度の調査区へ入るための道を通しました。

曲輪の調査も引き続き行いました。下部に見える黄色の層が地山になります。一層挟んでその上が地形を作るために盛った土と考えられます。盛り土以前は、北から南にかけて緩やかに低くなる地形だったと考えられます。

今週は雨の降る日が多い一週間でした。合間を縫って作業を進めました。昨年度に調査を行った館跡の東から、今年度の調査区へ入るための道を通しました。

曲輪の調査も引き続き行いました。下部に見える黄色の層が地山になります。一層挟んでその上が地形を作るために盛った土と考えられます。盛り土以前は、北から南にかけて緩やかに低くなる地形だったと考えられます。

週末の豪雨で砂田遺跡北区・西原遺跡北区の南部が水没し、立ち入ることができない状態でした。写真は西原遺跡北区南部の状況です。そのため、水没を免れた西原遺跡南区のジョレンがけ・空撮を行いました。

西原遺跡北区でもジョレンがけを行いましたが、雨が降ったりやんだりを繰り返しなかなかスムーズに作業を進めることができませんでした。また、遺跡内の壁が崩れていたため土留めの補修・補強を行いました。

今週は雨の合間をぬっての作業でした。

調査区の北側にあった、かつての荘内病院跡の下にある整地層のさらに下に、黒い土の遺構が大きく拡がっていることがわかりました。

病院跡の下に、江戸時代のはじめころの陶磁器を含む遺構が見つかりました。遺構の半分を掘って、遺構がどのように埋まっていたのか土の堆積状況を調べます。

今週は雨の合間を縫って空撮を実施しました。須川沿いに広がる微高地に遺跡が展開していることがわかります。

7/28には高校生を対象にした体験発掘を実施しました。建物跡から出土する遺物の取り上げや、洗浄作業をしました。

こちらの建物の隅からは、甕や脚付きの器が逆さまに置かれた状態で出土しました。慎重に掘り進めて行きます。

今週も引き続き遺構の精査を進めました。天気が不安定だったため作業を中断しなければならないこともしばしば。遺構に溜まってしまった雨水を汲み取ってから調査を始めます。

vbxcg土層の記録を終えた竪穴建物はベルト(うね状の掘り残し)を取り払い完掘を目指します。

西原遺跡北区中央部では柱の跡がいくつか見つかりました。小さいですが等間隔で並んでいます。

西原遺跡で空撮を行いました。先週の空撮写真を解析したところ、砂田遺跡で見つかった溝が西原遺跡で見つかった溝と繋がる可能性があることがわかりました。今後の空撮でも何か発見があるかもしれません。

遺構調査状況

遺構掘り下げ状況

館跡の北側の調査を開始しました。斜面の中で地形に変化がみられるところにトレンチを設定し、掘り下げていきます。

江戸時代に焼かれた磁器の碗が出土しました。現在までに飯田館跡で出土している遺物は18世紀代に焼かれたものが多い印象があります。

遺跡は、庄内藩庁である鶴ヶ岡城跡の二の丸堀の北東角、いまの鶴岡公園東駐車場内にあります。古地図では、鶴ヶ岡城三の丸にあたり、「松平武衛門家」や「酒井吉之亟家」といった上級家老の屋敷地であったことがわかっています。また遺跡の北側には、大正2年から平成14年まで建っていた荘内病院の跡が見つかりました。

近世整地層上面に残された遺構が徐々に明らかになってきました。調査区中央付近では、黒っぽい粘土質の細長い遺構が東西に規則的に数条並んでいる様子が確認されました。

黒色の土が並んで確認されました。畑のうね跡の可能性が考えられます。

今週も竪穴建物の調査を進めました。この時代の建物には、食事をつくるカマドが作り付けられていることが多く、その付近には遺物がたくさん出土する傾向にあります。

この建物では、カマドからの煙を外に出すための施設(煙道)が外側に伸びている様子が検出されました。

こちらの小ぶりな建物からは、カマドの煙道の先端に割れた土器片をすえていました。