西ノ浜式・瘤付土器2段階・晩期大洞A式新段階の
基準資料
〜砂子田遺跡(すなごだいせき)〜
虫眼鏡 概要
1 所在地
2 遺跡番号
3 調査年度
4 報告書刊行予定

山形県天童市大字高擶
平成9年度登録
平成10年、平成11年
平成14年度
縄文時代後期

 竪穴住居及び河跡から多量の土器が出土している。特に河跡からは加曾利B3式から瘤付土器の前半までの資料がある程度層毎に把握できる。当然ながら層の上下で接合するものなどもあるが、当該期の土器としては東北でも有数の資料である。

<加曾利B式並行期>
 縄文時代後期中葉の加曾利B式並行の土器では、加曾利B3式並行期が主である。器種は多様である。口縁部に刻み目をもつ深鉢が多い。

<西ノ浜式〜関東の曽谷式並行〜>
 後期中葉から後葉への過渡期にあたる。後藤勝彦氏により型式設定されたものである。5単位の大波状で、頸部でくびれる深鉢が特徴的である。これまでは遺跡が少なく、破片資料が主であったが、宮城県の田柄貝塚の発掘により資料が増えた。しかし未だ良好な一括資料と完形品には恵まれていない。砂子田遺跡の資料はある程度の層位的な裏づけと、完形品の多さから、編年の空白を埋める資料として注目される。口縁部に刻み目の代わりに縄文帯を持つようになる。瘤の付着は瘤の付くものと付かないものがあり、細分される可能性もある。

<瘤付土器2段階〜関東の安行1式並行〜>
 竪穴住居が6棟ほど見つかっており、うち3棟と土壙1基から床面一括の土器が見つかっている。この時期の竪穴住居跡は東北でも発見例が少なく、基準資料となりうる。
加曽利B3式並行期の深鉢
加曾利B3式並行期の深鉢
西ノ浜式期の深鉢
西ノ浜式期の深鉢
瘤付時第2段階の深鉢
瘤付土器第2段階の深鉢
犬
縄文時代晩期の浅鉢 縄文時代晩期

 晩期の中でも終末期にあたる大洞A式新段階若しくは大洞A’式古段階に属する土器が多量に出土している。土器は、河跡の捨て場と、陸地の包含層(恐らくは竪穴住居や土壙)から100箱ほど出土している。土器は極めて斉一性が強く、単純遺跡といってよい。同一時期の遺跡としては、宮城県の梁瀬浦遺跡、ニ月田貝塚など、山形県では高瀬山遺跡、北柳1遺跡などがある。
 晩期の中でも終末期にあたる大洞A式新段階若しくは大洞A’式古段階に属する土器が多量に出土している。土器は、河跡の捨て場と、陸地の包含層(恐らくは竪穴住居や土壙)から100箱ほど出土している。土器は極めて斉一性が強く、単純遺跡といってよい。同一時期の遺跡としては、宮城県の梁瀬浦遺跡、ニ月田貝塚など、山形県では高瀬山遺跡、北柳1遺跡などがある。
 当該期の土器については、中村五郎氏が大洞A’式古段階とし、鈴木正博氏は同一土器を大洞A式新段階として大洞A2式を提唱している。これまで当該期の土器は土器編年の前後の土器と混在して出土することが多く、器種組成も詳しくはわからなかった。しかし砂子田遺跡の土器によりこれらの問題の多くに答えを出せるのではないかと考えている。この時期の土器の基準資料となるであろう。
浅 鉢 1
縄文時代晩期の浅鉢
浅 鉢 2
縄文時代晩期の漆壷
漆 壺
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