東畑A遺跡 (6月第2週)

C区南側にグライ化した灰色の泥炭層が広がっています。過去吉野川が宮内扇状地の中を幾筋に分かれて調査区を横切っていたものと思われます。

表土から120p掘り下げた状態です。2層目までは大正7・8年の基盤整備以降の層です。3層目に江戸時代の遺物が出土することから近世の耕作土と思われます。4層目以降のグライ化層は須恵器などが上層から出土することから、平安時代以前の河川の堆積層と思われます。

C区北側の溝跡から須恵器(底部へら切り)坏が出土しました。

C区を西側から見たものです。左手に見えるのはU字管撤去下の人為堆積です。右手に見えるのは泥炭層で、吉野川の一部ではないかと思われます。

遺跡周辺:近世の景観
南陽市所蔵の「享保の絵図」(享保2年)
絵図中央やや右よりの黄色い丸は調査区推定地を示しています。左が北で、右が南です。

上記の絵図を拡大したものです。調査区周辺は田畑だったようです。南側に「俎柳村御番所」と書いてあります。赤い筋は道路です。道筋は現市道に引き継がれています。

四角は御番所の推定地です。

近世の道路に敷かれていたと考えられる敷石です。

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