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2006年06月28日

「県庁の下は縄文時代」展

現在の山形県庁は、熊ノ前(くまのべ)遺跡という縄文時代の大きなムラの上に建っています。
県庁舎を建てるとき実施した発掘調査では、たくさんの遺構や遺物が出土しました。

このたび、それらの遺物の一部を、県庁のロビーで展示することになりました。
土器や石器を使っていた縄文時代から、県庁が建っている現代まで、約4,500年の時の流れを感じてみてください。

開催期間は、平成18年6月26日から7月14日午後3時までです。



加藤屋敷遺跡(6月19日~6月23日)


暑い日が続く中、遺構検出作業を進めています。この写真はB区のものです。


調査区の全景写真です。


D区にトレンチを設定し5センチほど掘り下げたところ、たくさんの土師器・須恵器片が出土しました。出土した場所には、箸を立てています。

石畑遺跡(6月19日~6月23日)


石組の井戸を完掘したことろです。2m以上掘り下げました。掘方に係わった方々、暑い中ご苦労様でした。


下層の遺構(溝跡)です。現在の検出面から90cm下から縄文時代の遺構が検出されました。土器も数点出土しています。


珍しい来跡者です。日本カモシカが里から山に戻る途中、調査区周辺に現れたようです。しばらく調査の様子をそっとのぞいていました。

檜原遺跡第2次(6月19日~6月23日)


A区の遺構が南側へ広がることから、調査区の拡張を行いました。区画溝がきれいに見つかりました。


新たに調査を開始する区域(B区)の範囲を設定しました。表土の下には硬い粘土層があり、四苦八苦です。

天王遺跡(6月19日~6月23日)


調査区の壁際で溝の断面を確認しました。溝の壁際に溜まった砂と地山がよく似ているため、断面で確認しながら掘り下げていきます。


溝の底から青磁が出土しました(写真右下)。


溝から出土した遺物です。左から珠洲焼の甕、中国産の青磁、珠洲焼の擂鉢です。青磁の内面にはヘラで唐草の模様が彫られています。溝は13世紀ごろに埋まったと考えられます。

下叶水遺跡(6月19日~6月23日)


6月の第1週目にラジコンヘリで真上から撮影した遺跡の全景写真です。


今週の月曜日に、小国町立北部小学校の6年生の皆さんが職場体験にきてくれました。暑い中でしたが、熱心に発掘作業に取り組んでくれました。


SK140の遺物検出状況です。底面から土器や石器が出土しました。写真左上の土器は、急須などのように筒状の注ぎ口がある注口土器です。

山ノ下遺跡(6月19日~6月23日)


拡張した調査区の遺構面です。今週は検出した遺構を掘っていきました。


円状の遺構が検出されました。十字の部分は残して掘り、この遺構の性格を調査して
いきます。


2つ目の埋設土器が出土しました。土器を傷つけないように丁寧に検出しています。どのような土器が埋まっているのでしょうか。この後、半分だけ堀り、土器の状態を調査していきます。

中山城跡第2次(6月19日~6月23日)


縄文調査区のトレンチから、いくつか遺構が確認されています。黒っぽく見えているところが、その範囲のようです。


南側の帯曲輪を掘り下げている様子です。盛り土が多く、作業員さんと愛車のキャリアがフル稼働です。


木製品が大量に出土した地点から、こぶし大の木製獅子頭が出土しました。赤く染められていて、きれいでとてもかわいらしいです。

中川原C遺跡第4次(6月19日~6月23日)


縄文時代の土坑の壁際から、管状の土製品が3点並んで出土しました。一緒に石鏃も見つかっています。


直径約2㎝、中空部分は1㎝程です。それぞれ途中で折れているので、元はもっと長かった様です。左端の遺物の側面に、作った時の爪痕とみられる凹みが見えます。

興屋川原遺跡第3次(6月19日~6月23日)


今週はE区に戻り、遺構のプランが不明確な部分についてさらに掘り下げながらの検出作業を行いました。


乾燥による地割れと降雨による荒れを防ぐため、遺構の分布する範囲に、シートを掛け、遺構検出面を保護する作業です。

天童市立天童中部小学校(6月22日)


今日は天童市立天童中部小学校におじゃましました。





4クラス130名で勾玉作りをしました。


形を描いたら、ひたすら削ります。


クラスごとに縄文服を着て記念撮影です。





行司免遺跡第3次(6月19日~6月23日)


行司免遺跡の東側は写真のような細い溝が南北に何条か走っているようで、このうち確認できた4条を調査しました。


これもまた溝跡と思われます。このように行司免遺跡は、溝が何条も掘られていたことがうかがえます。

木の下館跡第3次(6月19日~6月23日)


窯跡の調査の様子:斜面にある10基の窯跡の調査を始めました。傾斜がきつい為安全に気をつけながら調査をしています。


炭窯の様子: 炭窯を半截した状況です。焼け土や炭が沢山でています。

矢馳A遺跡第3次(6月19日~6月23日)


C区の溝跡、ピット、土壙の遺構精査をしています。


RP8出土状況 溝跡の底から、土製の玉が1点出土しました。玉には穴が開いています。


D区完掘後の状態を空撮しました。


RP10出土状況  土師器の壺が潰れた状態で出土しました。

岩崎遺跡(6月19日~6月23日)


遺構の半分を掘り下げました。これから断面の写真や図面を取っていきます。


同じ遺構から出土した土器です。完全な形です。これから詳しく時代等を検討していきます。

2006年06月21日

中川原C遺跡調査説明会

中川原C遺跡の調査説明会を開催します。
ぜひご参加下さい。

日時 平成18年6月28日 午前11時~午前12時

場所 新庄市大字十日町字中川原 中川原C遺跡発掘調査地内 地図

成果
 本遺跡は泉田川の河岸段丘に立地する縄文時代から中世の遺跡で、土壙、溝跡、河川跡などが検出されています。今回の調査で、平成12年に調査した地点からの遺構や遺物の分布の広がりがわかりました。また縄文時代の漁撈を示唆する石錘や各種の石器・土器類が出土しました。中でも縄文人のアクセサリ-だったのか、水晶が出土し注目されます。

その他
 説明会当日は新庄市立北辰小学校の児童の遺跡学習会も兼ねて行なう予定です。

問い合わせ
現場携帯 080-1687-3377
埋蔵文化財センタ- 023-672-5301

終了しました。 説明会の様子はこちら

中川原C遺跡第4次(6月12日~6月16日)


南端の河川跡の遺構精査を始めました。層ごとに掘っています。
1層目の茶色い土を掘り、その下の黒い土と遺物を現しているところです。
縄文時代中期の土器・磨製石斧・石錘などが出土しています。


北端の河川跡や岸部からも石錘が出土しています。
石錘は出土割合が高く、この調査区からこれまで23点見つかりました。
川に近いこの辺りは、集落でなく漁労域だったのでしょう。

山ノ下遺跡(6月12日~6月16日)


今週は調査区の北側を拡張しました。
重機で掘り下げた部分をジョレンを使ってきれいにしています。


拡張した範囲に杭を打つ作業です。
座標を機械で座標を測り、杭の位置を決めていきます。この杭の地点を使って、遺物の出土地点や遺構の位置などを記録していきます。


拡張した範囲から縄文土器などが出土しました。
拡張部分の調査は来週から本格的に始まります。どのような遺構や遺物が出てくるのか、みんな楽しみにしています。

岩崎遺跡(6月12日~6月16日)


先週紹介した溝跡を掘り下げている状況です。
土留めを行ったと考えられる杭や板が検出されています。


井戸跡と思われる遺構の断面を確認しました。

木の下館跡第3次(6月12日~6月16日)


竪穴住居跡を掘り上げた様子
出土遺物が全く無く、いつの時代なのか分かりません。どのように使われたのかも分かりません。


炭を焼いた窯跡
登り窯のような形をしています。写真中央の窯跡上面から須恵器の破片が出土しました。
窯跡との関係はまだ分かりません。


斜面の面整理作業
だんだん斜面がきつくなっていくので作業に苦労しています。

矢馳A遺跡第3次(6月12日~6月16日)


D区SD1遺構精査
溝跡から、杭や板が組まれた状態で検出されました。
今週でD区の遺構精査は終了です。


C区SE515遺構精査
井戸跡が検出されました。四角い木枠が残存しています。


C区SP309遺構精査
ピットの中央から内黒の土師器(坏)と、端から土師器の破片が出土しました。


C区SX244遺構精査
焼土の中に、土師器の破片が固まって出土しました。

行司免遺跡第3次(6月12日~6月16日)


地面を柱状に残していた箇所を掘り下げて地層の重なり具合を調べました。


溝跡(SD5)の調査を行っています。
人が中に入っているこの溝は調査区を東西に流れる溝です。


SD5の断面を撮影しました。

興屋川原遺跡第3次(6月12日~6月16日)


梁行き2間、桁行き4間の南北に長い掘立柱建物跡です。F区東端部では全部で4棟の掘立柱建物が見つかりました。
北東部の2棟が東西棟で南西にあるこの建物を含む2棟が南北棟です。


掘立柱建物跡が見つかったF区から出土した土器は多くはありません。
台の付いた須恵器の坏は建物の時代のものとなるようです。平安時代の初め頃ではないかと考えられます。

下叶水遺跡(6月12日~6月16日)


今週の作業で、埋設された土器がまとまった状態で検出されました。
現在のところ、北東に位置する沢跡(SG1b)から9基ほど確認されています。


遺構の精査作業に入りました。遺構の半分を掘り下げ(半截作業)、残った半分の土の色や質の違いから埋まった状況や遺構の新旧関係を把握します。


土坑跡(SK10)の半截状況です。遺構内からは、土器の底部や凹石が出土しました。

加藤屋敷遺跡(6月12日~6月16日)


調査区の周囲に掘っている溝から、大きな須恵器のかけらがまとまって出土しました。


今週で重機による表土除去が終わりました。


遺構検出の作業風景です。石灰でマーキングしているところです。

中山城跡第2次(6月12日~6月16日)


昔の道路面から、近世陶磁器が出土しました。馬の絵が描かれており、道路の年代を知る貴重な資料です。


南側の帯曲輪から縄文調査区まで、断面観察のため長いトレンチを入れました。帯曲輪の上から眺めると壮大な景色です。

天王遺跡(6月12日~6月16日)


小さなほうの調査区(B区)の遺構検出が終わりました。
右下の黒い部分は川跡と考えられます。


遺構の検出作業も終わり、大きなほうの調査区(A区)から遺構の掘り下げに入りました。
幅2~3mの溝跡から掘りはじめました。


溝の中には砂や泥が交互に溜まり、何度も繰り返して水が流れていたようです。
底には鉄分が付着しています。

檜原遺跡第2次(6月12日~6月16日)


A区の西側がほぼ掘りあがりました。溝に区画された中には、建物や井戸があったようです。


庇付きの大きな掘立柱建物跡です。右側には井戸跡があります。


いよいよ梅雨入りです。これからは、こんな風景が続くのでしょか。

上野遺跡第2次(6月12日~6月16日)


遺跡の完掘状況を写真におさめる際に、調査区全体の土色がきれいに出るよう、面整理を行いました。


調査の結果、遺構・遺物の検出数が希薄であったため、事業関係者を対象にした説明会を実施しました。


ラジコンヘリを使用して、空中から遺跡の全景を撮影してもらいました。

石畑遺跡(6月12日~6月16日)


近世・近代の?石組み井戸跡です。


調査区を西に少し上っていくと稲荷神社があります。幕末にたてられた献燈がひっそりと置かれています。頂上には2棟のお堂があります。

2006年06月18日

寒河江市立醍醐小学校(6月15日)


寒河江市の醍醐小学校へ出前授業に来ました。


子供達は熱心に説明に耳を傾けて聞いています。


先生も子供達も縄文人になって記念写真。


石器で、キュウリ・人参などの野菜を切って、バクバクと食べていました。

河北町立溝延小学校(6月5日)


本日は、河北町立溝延小学校へ出前授業に来ました。


縄文服を着て、縄文時代の土器や石器を持って記念写真。


クルミ割りや野菜切りはうまくできましたが、火起こしは苦労しました。


元・弓道部だった校長先生が矢の射方を指導してくださいました。

2006年06月15日

発掘された日本列島2006

kamegasaki_tyadougu.jpg
亀ヶ崎城跡出土の茶道具

毎年恒例の「発掘された日本列島2006」が6月から始まります。
今年は久しぶりに山形県にも巡回してきます。また、当センターで発掘調査を行なった亀ヶ崎城跡の遺物が数多く出展されます。写真右の天目台は山形県の地域展でのみ展示予定です。

公式サイトはこちらからどうぞ。
発掘された日本列島2006公式ホームページ


<巡回会場・会期>
6月20日~7月23日 江戸東京博物館(東京都両国)
7月29日~9月3日 九州国立博物館 (福岡県太宰府市)
9月9日~10月9日 佐野美術館 (静岡県三島市)
10月15日~11月12日 米沢市上杉博物館 (山形県米沢市)
11月18日~12月17日 福井県立若狭歴史民俗資料館 (福井県小浜市)
12月23日~2007年1月21日 大阪府立弥生文化博物館 (大阪府和泉市)
1月28日~2月25日 新潟県立歴史博物館 (新潟県長岡市)

石畑遺跡(6月5日~6月9日)

ishibatake-_0605_1.jpg
調査区の南側(B区)の面整理が終了し、全景写真を写しました。まずまずの天気で、遠くの景色までのぞむことができました。

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いよいよB区の遺構精査の開始です。B区は後世の攪乱(かくらん)も多いのですが、遺物も少なからず出土します。今後の成果が期待できます。

ishibatake-_0605_3.jpg
水曜日(6月7日)、大雨直後の調査区の様子です。午後には小降りになりましたが、大雨によって一部冠水してしまいました。そのため、排水作業を行いました。

中川原C遺跡第4次(6月5日~6月9日)


今週は、調査区北側の遺構検出と、写真撮影をおこないました。
旧地形は、ここから先やや高くなっています。奥の黒色土は昔の河川跡のようです。

上の写真でブ゙ルーシートがかけてある部分です。ここは旧河川の自然堤防上で、
縄文時代の土坑や住居跡と思われる遺構が見つかりました。

加藤屋敷遺跡(6月5日~6月9日)


調査区の中央付近にトレンチを設定し、移植ベラで掘り下げました。土の表面が乾燥して固くなり、掘るのにも一苦労です。


掘り下げたトレンチからも、奈良・平安時代のものを中心に土器のかけら等、遺物が出土しました。

中山城跡第2次(6月5日~6月9日)


調査区内には、縄文時代の遺物が出る区域があります。今週からトレンチを掘りはじめました。


10~20cm掘り下げると、縄文土器が出土しました。文様が描いている土器も出ています。


近世屋敷跡からは、赤い漆製品が出土しています。漆製品を製作していたことを示す重要な資料です。

天王遺跡(6月5日~6月9日)


大きいほうの調査区の遺構検出が終わりました。写真右奥の杉の木の下に、地元の方が「てんのうさま」と呼ぶほこらがあります。


帯状に砂が堆積した部分があります。他の場所よりやや高く、遺構がたくさん見つかりました。


前に掲載した大きな板碑の近くに、2基の板碑があります。周囲には小型の板碑も何基か並んでいました。

檜原遺跡第2次(6月5日~6月9日)


たくさんの柱穴の中から、建物跡を構成するものを探しています。もう少しです。


この穴にはたくさんの石が入っていました。他の遺構には見られない特徴です。どんな意味があるのでしょうか。

木の下館跡第3次(6月5日~6月9日)


遺構検出状況:館跡の下方から炭窯と思われる窯跡が4基見つかりました。焼け土や炭くずが残っています。


炭を焼いた窯跡:左に映っている窯跡は焼け土が沢山残っています。登り窯のような形をしています。


炭を焼いた窯跡:丸や楕円形をした炭窯もあります。

下叶水遺跡(6月5日~6月9日)


写真撮影のため調査区のブルーシートを剥がし、面整理を行いました。以前お伝えした沢跡は、北西に向って二手に分かれて伸びています。


北側から見た沢跡の検出状況です。黒く帯状に伸びる沢跡の両側からは、柱穴や土坑が集中して検出されています。


調査区から検出された遺構の状況と、遺跡全景の写真をラジコンヘリを使って上空から撮影しました。

山ノ下遺跡(6月5日~6月9日)


写真の右端に写っている機械を使って、遺構の標高を測っているところです。


杉の木の根の間から、甕の底部が出土しました。根がとても太く、切断するのが大変です。遺物が出土するため、慎重に根を除去しています。


根の間からは須恵器や高台坏なども出土しました。

矢馳A遺跡第3次(6月5日~6月9日)


遺構登録: 遺構に番号を振ります。番号タグを遺構の横に挿し、図面に番号を記録している様子です。


遺構精査: D区の遺構精査をします。移植ベラを使用して、検出した遺構を掘り下げます。


溝跡にトレンチを設定し、遺構精査します。

上野遺跡第2次(6月5日~6月9日)


暑い中、作業員の皆さん総動員でやや大きめの溝跡の掘り下げを行いました。


調査区の土層の様子を確認するため、基本層序を記録していきます。


作業員の皆さんによって、溝跡の掘り下げがきれいに仕上がりました。断面図を記録した後、完掘作業に入ります。

興屋川原遺跡第3次(6月5日~6月9日)


F区の東端部で平安時代の建物を構成する柱穴などが見つかりました。今週末までに4棟の建物があることがわかりました。


梁行2間×桁行3間の南北に長い建物跡で、柱穴の大きさが1辺70cmほどの隅丸方形
です。


梁行2間×桁行3間の東西に長い建物跡です。この建物跡の東に隣接して、もう1棟の建物があります。

岩崎遺跡(6月5日~6月9日)


溝跡の掘り下げをしています。遺物から近代まで使われていた溝跡と考えられます。


酒田工業高等学校の生徒さん達が見学にいらっしゃいました。皆さん真剣に説明を聞いています。

行司免遺跡第3次(6月5日~6月9日)


両刃鎌を使って丁寧に地面を削っていきます。きれいになった地面のわずかな土の違いを見つけて溝跡などを見つけていきます。


石が集まっている箇所の調査に取りかかりました。まだ、この遺構の性格はわかりませんが石は熱をうけているようです。


須恵器が出土しました。奈良時代のものです。

2006年06月12日

寒河江市立三泉小学校(5月26日)


今日は寒河江市立三泉小学校におじゃましました。


動物たちと一緒に記念写真。校長先生、教頭先生も入って下さいました。


縄文ファイヤー!!


昔の人もこんな風にして料理をしていたのかな?

2006年06月09日

新庄市立新庄中学校(6月1日)


今日は新庄中学校におじゃましました。


第1学年4クラス約100名の生徒さんたちです。


縄文時代の遺物(本物)にふれながら地域の歴史を学びました。


弓矢・火起こし・石器を使っての野菜切りなどを体験しました。

天童市立高擶小学校(5月31日)


天童市立高擶小学校に行ってきました。


山形県にはいくつの遺跡があるでしょう。


火起こしをしました。火がつくかみんなで見守りました。


石器で野菜切りをしました。各自野菜を持ち寄り、きゅうり・にんじん・かぶ・ピーマンなどを切りました。

真室川町立釜渕小学校(5月24日)


今回は真室川町立釜渕小学校へおじゃましました。学区内には、国指定重文の「土偶」が出土した釜淵C遺跡があります。


今日の体験は縄文クッキー作り。まず、クルミを割ります。


クルミとドングリ粉を混ぜ、クッキーに焼き上げます。お味は?


今日は釜渕小学校と隣の大滝小学校の合同授業です。

2006年06月08日

行司免遺跡第3次(5月29日~6月2日)


東北芸術工科大学の方々に御協力いただいて木棺墓を取り上げる準備をしています。ウレタンを木棺墓の周りなどに流して周囲を固定します。


ウレタンで木棺墓を覆ったところです。


地面から切り離した木棺墓をトラックに積み込む様子です。センターにて保存処理を行っていきます。

木の下館跡第3次(5月29日~6月2日)


2~5段目完掘状況


住居跡の柱穴の様子。規則正しく柱穴が並んでおります。


中世陶器の出土。木の下館跡の時代を示す遺物か?注目しています。

岩崎遺跡(5月29日~6月2日)


検出された柱穴です。画面上に白く見えるのが火山灰と考えられます。詳しくは今後検討して行きます。


柱穴を掘り下げました。丸く残っている箇所が柱があった場所です。

天王遺跡(5月29日~6月2日)


大きな2条の溝が見つかりました。2条が並行していることから道路跡かと考えましたが、調査区の南端で2条の溝は合流していました。時期差をもって付け替えられた溝のようです。


溝跡の西側には柱の跡と考えられる小さな穴が密集していました。


柱の跡とともに、約1~2m大の長方形の遺構が数基並んで見つかりました。

檜原遺跡第2次(5月29日~6月2日)


遺構の掘下げもだいぶ進みました。写真や図面などの記録も大忙しです。


穴の底から四角に組まれた木枠が見つかりました。幅の広い板も出土したことから、縦板と横桟の構造を持つ井戸だったようです。

下叶水遺跡(5月29日~6月2日)


今週の作業状況です。調査区内の表土除去がようやく終わりました。


おぐに保育園の皆さんが遺跡の見学に来てくれました。出土した土器や石器を使った植松主任の説明を聞いて、大昔の人々のくらしに想像をふくらませています。


実際に調査区内で発掘を体験してもらいました。移植ベラを持って慎重に探りながら掘り下げていきます。

山ノ下遺跡(5月29日~6月2日)


縄文時代の埋設土器です。土器の埋設方法を調べるために、土器の周りを少し大きめに掘りました。調査中ですが、担当者・作業員さんともに楽しみにしています。


調査区内の遺構をきれいに掘りました。そして撮影を行い、図面を書いて記録していきます。


タワーを組んで、撮影をします。これは2段ですが、3段の時もあります。作業員さんが総出で組み立てました。

中山城跡第2次(5月29日~6月2日)


土坑を掘り下げたところ、木製の桶が出土しました。もろく壊れやすいので慎重に掘っていきます。


先週お伝えした下大石家の石積みを外して、断面を検出しています。一つ一つが重く、大変な作業です。

加藤屋敷遺跡(5月29日~6月2日)


面整理と遺構検出作業を継続して行っています。


壁際から水がしみ出し、足元の悪くなった状況での作業は大変です。


調査区の壁際に掘った溝を掘り下げたところ、土器のかけらなどが出土しました。

上野遺跡第2次(5月29日~6月2日)


杭材が検出されました。樹種及び年代について、これから理化学的分析を施す予定です。


検出面における遺構の輪郭が不鮮明なために、間隔を狭めてトレンチ掘りを行いました。土がコンクリートのように固く、作業員さんたちは悪戦苦闘しています。


何日間かかけて、やっと断面を確認できるところまでたどり着きました。固いねずみ色の盤の下に、黒い粘土質層が堆積しています。所々、縦にねずみ色の筋が入っている部分が確認できます。

中川原C遺跡第4次(5月29日~6月2日)


遺構検出作業中、溝跡のようです。画面手前左側に、中指ほどの太さの水晶が
出土しました。


紫水晶と思われます。透明度は低いですが、六角柱状で芯部がほのかに紫がかっています。縄文時代のパワーストーンでしょうか?

矢馳A遺跡第3次(5月29日~6月2日)


今週は空撮を行いました。


空撮の結果、調査区全体の写真を撮ることができました。これはその1枚です。


調査区を部分的に俯瞰で撮影し、全体をつなげると、こんな写真になります。河跡や土質の違い等々がはっきりと分かります。

石畑遺跡(5月29日~6月2日)


調査区の南半分(B区)の面整理状況です。じょれん(便利鍬)を使って、重機で掘削した地面を削って遺構を検出します。作業員の皆様暑い中ご苦労さまです。


調査区の北側(A区)のSX115という不整形の遺構を掘っている写真です。土器などの遺物が出土するため竹べらなどを使って慎重に掘り進めていきます。


SX115から出土した縄文土器です。この遺構だけで2箱以上の遺物が出土しました。

興屋川原遺跡第3次(5月29日~6月2日)


今週後半からE区の掘り下げと面整理に入りました。1980年代に行なわれたほ場整備で、重機が遺構面に深いキャタピラー痕を残しています。遺構の保存状態はよくありません。


E区の東半部の遺構が分布する範囲について100分の一の縮尺で遺構配置図を作成しました。

2006年06月01日

木の下館跡第3次(5月22日~5月26日)


館跡上部の様子。館を作った当時の地形がきれいにわかります。


斜面を掘り下げ、段がわかるように掘っていきます。山城の調査は斜面での作業が多く大変です。

岩崎遺跡(5月22日~5月26日)


勾玉が出土しました。とても小さな勾玉です。これから詳しく調べていきます。


柱穴を掘り下げ、柱の確認をしている所です。岩崎遺跡では建物の柱穴が多く検出されています。

山ノ下遺跡(5月22日~5月26日)


今週は円状の穴を掘りました。それぞれ半分だけ掘って性格を詳しく調べていきます。


土の層の図面を書いて調査の記録をとっていきます。

檜原遺跡第2次(5月22日~5月26日)


遺跡を覆う土です。約1.5mの深さで遺構が見つかりました。


遺構を掘り始めました。砂混じりの硬い土です。


埋まり方などを観察するため半分だけ掘りました。下からは水がこんこんと湧いてきます。井戸だったのでしょうか。

矢馳A遺跡第3次(5月22日~5月26日)


C区南西側に大きな溝跡のようなものを検出しました。面をきれいにして観察した結果、大きな河跡の可能性が高くなりました。


C区北側から、土坑のような楕円形の遺構と、柱穴跡が多く見つかりました。大きな楕円形は井戸を掘った跡で、柱穴跡は建物を建てた跡と思われます。


L字に曲がった溝跡が何本か見つかりました。恐らく中世の館を囲っていた溝跡と思われます。

行司免遺跡第3次(5月22日~5月26日)


新たに木棺墓が検出されました。昨年の調査で2基出ており、これで3基目になります。なお、すぐ隣から土器も出ています(写真左側)。


木棺墓は取り上げて埋蔵文化財センターで詳しく調査することにしました。土ごと切り取って運ぶ作業を行ないました。

興屋川原遺跡第3次(5月22日~5月26日)


古墳時代の土器とともに、小刀とみられる鉄製品が出土しました。周囲より黒っぽい炭の含まれる土層に含まれていました。


E区の面整理も東端に近くなり、ようやく古墳時代の遺構が分布する地区に入ってきました。土器が含まれる穴や柱穴などが見つかっています。

天王遺跡(5月22日~5月26日)


土をていねいに削って遺構を探す作業が続きます。


鎌倉時代~室町時代と考えられる壺の破片が出土しました。

下叶水遺跡(5月22日~5月26日)


先週お伝えした河川跡は、二つに分かれる沢跡のようです。調査区西側の横川に向かって伸びています。


面整理の作業中、形の良く残った土器が確認されました。埋葬に用いられた甕の可能性があります。


白沼中学校の皆さんが遺跡の見学に来てくれました。出土した石器や土器を手に取りながら、熱心に植松主任の説明を聞いています。

石畑遺跡(5月22日~5月26日)


調査記録をとる測量作業風景です。


遺物が出土しました。狩りで使った石鏃(やじり)です。

中川原C遺跡第4次(5月22日~5月26日)


遺構検出を行っています。これは溝跡です。他に柱穴や集石が見つかりました。しかし、遺構はあまり多くないようです。


検出された遺構の一部です。上は削られて、下のほうだけ残った状況です。


調査区の中央部分です。ほ場整備の際の重機キャタピラー跡と思われます。だいぶ削平されているようです。土が固く、削るのが大変です。

上野遺跡第2次(5月22日~5月26日)


今週から遺構の精査を始めました。撹乱が多く、明確に遺構と判断できるものは少ないようです。


掘り方が見つからない柱穴を半裁すると、断面から杭材と思われる木材が検出されました。


井戸跡かと思われた遺構の断面です。予想したよりも浅く、埋め土の断面からも今のところ遺構の性格をさぐる決定的な手がかりは得られていません。

加藤屋敷遺跡(5月22日~5月26日)


表土除去と遺構の検出作業に入りました。土の層の違いがよくわかるように、鎌で削っているところです。


面整理作業中に出土した遺物の状況です。土師器や須恵器のかけらが出土しています。

中山城跡第2次(5月22日~5月26日)


中山城跡の調査では、遺構の図面作成を写真実測で行っています。


下大石家の完掘状況です。石垣もきれいに検出でき、ようやく全体像を把握できました。


昔の道路に沿った溝跡から、多くの陶磁器などが出土しました。

2006年12月

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