メイン

2007年01月31日

百刈田遺跡第4次(1月22日~1月26日)


下層面の完掘状況です。この面からは縄文時代の土器片が出土しました。砂礫層からの出土ということがあり、ほとんどの物が磨り減っていました。


関係者向けに現場説明会を行い、現場の状況をみてもらいました。


木の種類などを調べるために流木のサンプルを採取しました。


1月26日をもって、二ヶ月間に及ぶ発掘調査が終わりました。

2007年01月25日

百刈田遺跡第4次(1月15日~1月19日)


週初めはよく雪が積もります。


上屋に雪が積もったため、雪下ろしをしてもらいました。自分達では危険なため、業者の方にお願いしました。一日がかりの作業でした。


下層面の作業風景です。流木が多数ありました。遺物は縄文土器片が出土しています。砂利の中からも土器が出土するため、注意深く調査します。

2007年01月15日

百刈田遺跡第4次(1月9日~1月12日)


今週から調査を再開しました。上層面から20cm掘り下げたところ、遺物が出土しました。   古墳時代の土器と木製品です。


船状の木製品です。完形品ではなく、半分以上が欠けてしまっています。長さは110cmです。


下層面まで重機で掘り下げました。砂利層にあたり、水がどんどん沸いてきます。水をぬくために排水溝を掘っています。

2007年01月05日

百刈田遺跡第4次(12月25日~12月29日)


今週は天候が悪く、寒い日が続きジェットヒーターを用い、調査を行いました。今年は雪がほとんど降らず雪かき等の仕事が無く調査に集中することができました。28日から現場はお正月休みに入り、再開は9日からです。


用途不明の木製品です。流木のそばにありました。詳しいことはセンターに持ち帰り調べていきます。

2006年12月27日

百刈田遺跡第4次(12月18日~12月22日)


月曜日は雪が積もっていました。上屋のおかげですぐに調査に入ることができました。


調査風景です。遺構検出面から1m掘り下げました。


上層面の調査が終了しました。河川跡から奈良時代の壺や古墳時代の土器が出土しました。
今後はトレンチを新たに設置し、下層の様子を調べていきます。

2006年12月21日

百刈田遺跡第4次(12月11日~12月15日)


上屋が完成しました。悪天候でも毎日現場作業を行っていきます。


調査区全体が河川跡であるため、下から水が沸き足場がぬかるみます。雨具を着て作業をしていますが、毎日泥だらけになってしまい大変です。


今週の出土遺物です。土師器の甕です。

2006年12月13日

百刈田遺跡第4次(12月4日~12月8日)


今週は上屋工事のため、現場は休みでした。


調査区全体が覆われるので、雪が降ろうと雨が降ろうと発掘調査を行うことができます。

2006年12月06日

百刈田遺跡第4次(11月27日~12月1日)


今週はトレンチを設定し、掘り下げを行いました。


天候が悪いうえ、下から水が沸いてきて作業が大変です。1m掘り下げたところ、遺物が数点出土しました。


奈良時代頃の須恵器の壺です。貯蔵用に用いていたものです。

2006年11月29日

百刈田遺跡第4次(11月20日~11月24日)


今週から南陽市の百刈田遺跡で調査を開始しました。4次調査にあたる今回は、約700㎡のさくらんぼ畑(手前)が対象となります。


重機で表土を除去した後の面整理作業状況です。昨年までの調査内容から、今回の調査区はほぼ全域が河川跡になると予想されます。


面整理後の調査区全景です。黒い2本の筋が蛇行している様子がわかります。埋没前の最終段階の川幅を示すもので、出土土器から約1,000年前に埋まったと考えられます。

2006年11月28日

下叶水遺跡(11月20日~11月24日)


横川ダムの見学会に伴い、遺跡の見学を行いました。あいにくの雨で、屋内での遺物の展示となりましたが、約100名の方に来ていただきました。


調査も無事終了し、最後に調査事務所内の器材の撤収・清掃を行ないました。


11月22日(水)をもって、下叶水遺跡の発掘調査の全工程が無事終わりました。ご尽力いただいた作業員さん、関係機関の方々にお礼を申し上げます。 

加藤屋敷遺跡(11月20日~11月24日)


E区の川跡を拡張して掘り下げました。調査が大詰めのため、雨の日でも作業を行いました。


D区とE区の全景写真です。今年度の加藤屋敷遺跡の現地調査は、24日(金)をもって無事終了しました。

2006年11月22日

加藤屋敷遺跡(11月13日~11月17日)


E区の川跡の全景です。だいぶ蛇行しているようで、南西側(写真手前)も掘り下げていくことになりました。


川跡から出土した曲物です。


C区の真ん中付近で土器片の下を掘ったところ、合せ口甕棺が出土しました。

下叶水遺跡(11月13日~11月17日)


SG1の河跡堆積土の除去作業の様子です。遺物の包含層から、土器や石器を主にした遺物が出土しています。


柱が動かないように、川原石でしっかりと根固めした柱穴(SK96)です。石の詰め方などを把握するために、石組みを半分だけ外し、掘り下げていきます。


前の写真の柱穴の断面を確認しました。この柱穴は、拳ほどの大きさの石を上面に敷き詰め、下層に大きな石を詰め込んでいます。

天王遺跡(11月13日~11月17日)


調査が終わったそばから調査区が埋められていきます。


調査に使った器材を積み込んで調査終了です。


テンノウさまをバックに記念写真です。今までご覧いただきありがとうございました。来年の2次調査をお楽しみに。

2006年11月14日

下叶水遺跡(11月6日~11月10日)


調査区完掘の空中写真
今週は、ヘリコプターを使って上空からの遺跡の写真撮影を行いました。
上空からの写真では、調査区中央を斜めに走る川跡や、その両側に柱穴や土坑などの大小の穴が密集しているのが分かります。
県内では少ない縄文時代後・晩期の集落構成が分かる点で、重要な資料となります。



これは河跡(SG1)付近の集落域を真上から撮影したものです。河跡の右側では硬い礫の地盤にもかかわらず、遺構が多く存在します。一方で左側では河跡から離れていくにつれて、遺構が少なくなっていくことが見受けられます。

天王遺跡(11月6日~11月10日)


農道部分の遺構を掘り下げました。


農道部分の遺構が掘り上がりました。地元の方の話では熊野大社のある宮内地区に抜ける昔からの道ということでしたが、古い道の遺構は見つかりませんでした。

上大作裏遺跡(11月6日~11月10日)


調査区東端で拡張した範囲も掘り終えました。現況とは異なる旧来の地形が復元されました


調査が終わりに近づき、これまで使用した機材の片付けや洗浄を行いました。あとは撤収のトラックを待つばかりです。


最終日の朝も濃い霧に覆われました。この時期、米沢盆地では、晴れる日の朝にはよく霧がかかり、時には正午になってようやく晴れる日もあります。

加藤屋敷遺跡(11月6日~11月10日)


先週に引き続き、E区の川跡を掘り下げています。川の幅は4m~7mあります。


川跡からは、完全な形の土師器・須恵器が、さらに数点出土しました。中には、文字の書かれた土器も含まれています。


川跡から出土した、曲物(まげもの)の底の部分と思われる丸い板です。このような木製品もたくさん出土しています。

2006年11月08日

天王遺跡(10月30日~11月2日)


調査区の中を通っていた農道の付け替え工事を行ないました。


これから農道が通っていた部分の調査を行ないます。多くの遺構が見つかりました。

加藤屋敷遺跡(10月30日~11月2日)


空撮のために、各調査区を丁寧に掃除しました。


11月1日に空撮を行いました。天気にも恵まれました。翌日、A~Cの各調査区の写真を撮影しました。

檜原遺跡第2次(10月30日~11月2日)


調査区全体や遺跡の周辺が分かるように、ラジコンヘリを用いて上空から写真を撮りました。


B区の全景です。B区からは焼土遺構や河川跡・竪穴状遺構・土壙などが検出されました。また、重機が動いている盛土の部分は7月まで調査していたA区です。11月2日(木)をもって半年間にわたる調査が終了しました。

上大作裏遺跡(10月30日~11月2日)


調査も終盤を向かえ、土層記録用に残したベルトの除去をし、土器がまとまって出土した区域は再度拡張をおこないました。


拡張した範囲での土器出土状況の一部です。破片が折り重なるように 密集しています。


掘りあげた遺構の形や深さを計測する遺構測量を、外部に委託して実施しました。

下叶水遺跡(10月30日~11月2日)


河跡(SG1)東側の遺構の完掘作業に入りました。ここは石組みの柱穴や土坑が密集しているので、慎重に作業を進めているところです。


土壌の分析のため土を採取している様子です。土の中に含まれる花粉などを調べます。これらは当時の自然環境などを知る手がかりとなります。


今週の水曜日に基督教独立学園の皆さんが遺跡の見学にみえました。出土した遺物の説明に熱心にメモを取ったり、見聞きした遺構や遺物について質問が飛び交いました。

2006年11月02日

檜原遺跡第2次(10月23日~10月27日)


25日(水)に調査説明会を行いました。天候が危ぶまれましたが、朝には雨も上がり、約50名の方が参加してくれました。

天王遺跡(10月23日~10月27日)


空撮準備のため調査区の掃除をしました。雨が降ったりやんだりの中での作業でした。


空撮の日には何とか雨が上がりました。


秋晴れの中、調査説明会を行ないました。25名の方に参加していただきました。

上大作裏遺跡(10月23日~10月27日)


調査区南辺の掘り下げを継続しました。湧水があるので大変ですが、下層からは弥生土器が多く出土します。


上層部の遺物は破片が散在する程度でしたが、下層からは復元可能なものが出土しています。


週末28日の土曜日には、天王遺跡と合同で調査説明会を開催しました。天候にも恵まれ、多くの方が見学に来てくださいました。

下叶水遺跡(10月23日~10月27日)


10月29日(日)に現地説明会を開催しました。地元小国町や県内の方など約85名の参加があり、宮城県や新潟県の研究者も来ました。
今回の調査成果は、県内(東北地方含む)では稀少な集落構成の分かる遺跡が発見された事、多量の遺物内容から新潟県(北陸地方)などとの関わりが分かりそうな事があげられます。


今週は遺構の完掘作業を行いました。川沿いの集落の縁辺には、フラスコ状や袋状を呈した土坑、根固め石を持つ柱穴群がまとまって分布しています。

加藤屋敷遺跡(10月23日~10月27日)


E区の河川跡のトレンチです。以前墨書土器が出土した周囲を少し掘り下げたところ、たくさんの土師器片・須恵器片・木製品などが出土しました。さらに、遺物が増えることを期待しています。


10月27日(金)に調査説明会を行いました。朝方に雨が降り、足元の悪いなかにもかかわらず、参加していただいた皆様ありがとうございました。


説明会で展示した遺物の一部です。

2006年10月25日

天王遺跡(10月16日~10月20日)


太陽がだいぶ低くなってきました。遺構の掘り下げはほぼ終了し、来週の空撮と説明会に向けて調査区の清掃をしました。

下叶水遺跡(10月16日~10月20日)


先週に引き続き、遺構の完掘作業と河跡(SG1)の土層観察に残した土の層の掘り下げをおこないました。


河跡(SG1)の土層を掘り下げたところ、扁平な石に文様が施された岩版(がんばん)が出土しました。土偶などと同じくに信仰的な遺物と考えられます。


底径が90cm程のフラスコ状の土坑です。底は平らで、理科の実験で使うフラスコの様に、入口よりも底の方が広くなっています。このような形の土坑は、木の実などの食物を蓄えるのに使った貯蔵穴と考えられています。 

上大作裏遺跡(10月16日~10月20日)


今週後半には上空からの撮影を行いました。パラグライダーによる空撮でしたが、この日は風が穏やかで、飛んでいて気持ちよさそうでした。


調査区上空ほぼ真上からの画像です。写真の上が北方向になります。


南側落ち込みの最下層から、鍬と思われる木製品が出土しました。これまで縄文・弥生・平安時代の土器や石器が見つかっていますが、木製品は初めての出土です。

檜原遺跡第2次(10月16日~10月20日)


先週に引き続き河川跡の掘り下げを行いました。断面観察を終え、完掘に向けて掘り進めています。

加藤屋敷遺跡(10月16日~10月20日)


B区の溝跡(SD4)を精査したところ、方形周溝状の遺構であることがわかりました。何のためにつくられたものか、さらに調査を進めていきます。


E区の河川跡にトレンチを設定し、掘り下げ始めました。平安時代のものと思われる須恵器片など、遺物が多く出土しています。


今週は秋晴れに恵まれた日が多かったのですが、朝晩、大分寒くなってきました。周囲の山々も徐々に色づき始めています。

2006年10月17日

檜原遺跡第2次(10月10日~10月13日)


調査も終盤を迎えました。来週25日(水)には調査説明会を行います。現在は、河川跡の掘り下げ作業などを行っています。箸のたっているところから土師器や須恵器が出土しています。


赤く焼けた遺構の断ち割り作業の様子です。焼けたところがどこまで広がっているかを調べています。

天王遺跡(10月10日~10月13日)


この季節、置賜地方は霧に包まれる朝が増えてきます。10時過ぎまで霧が晴れないこともあります。


以前見つかっていた溝の続きが拡張部分でも見つかりました。中世前期の遺物が出土します。


溝が掘りあがりました。何度も流れを変えていたようです。

下叶水遺跡(10月10日~10月13日)


今週から遺構の完掘作業に入りました。遺構断面の記録作業が終わり、半分にした遺構内の埋め土をすべて掘り下げていきます。


完掘した柱穴の状況です。くぼんだ範囲に柱がすえられ、周りを河原石で敷き詰めて、しっかりと固定した様子がわかります。


河跡(SG1)西側の完掘した柱穴群です。前の写真であったように、他にも石組みの柱穴が確認されました。

加藤屋敷遺跡(10月10日~10月13日)


D区の竪穴住居跡(ST20)の検出状況です。南西側(写真右下)で大きな須恵器片が密集して出土しています。隣接して、北東側(写真左上)には土坑と思われる遺構(SK19)もあります。


C区の竪穴住居跡(ST13)カマド付近の写真です。これまで検出した加藤屋敷の住居跡は、土師器片や須恵器片などの出土遺物から、すべて奈良・平安時代のものと考えられます。


katouyasiki_1010_3.jpg.jpg
B区の溝跡(SD2)です。図面や写真等の記録作業が終わったため、残しておいた土(ベルト)を掘り下げていきます。

上大作裏遺跡(10月10日~10月13日)


拡張した縁辺部の調査と並行して、土層観察のため、これまで半掘りしていた遺構の完掘作業を開始しました。


調査区西側の遺跡範囲では、県教育委員会による試掘調査が行われました。その結果、遺構や遺物の存在が確認された場合は、来年度に発掘調査を実施します。


夕方5時前の西の空です。日没がすっかり早くなり、家路に着くころには日暮れで暗くなり始めます。

2006年10月11日

檜原遺跡第2次(10月2日~10月6日)


柱穴が4本ある竪穴住居跡の完掘状況です。カマドは検出されませんでした。


B区の拡張した部分の遺構検出状況です。床面が赤く焼けた遺構が、写真の左の調査区の続きとしてでてきました。来週から調査を始めていきます。

天王遺跡(10月2日~10月6日)


堀の壁に沿って、円形の痕跡が密集して見つかりました。土留めのための杭の跡でしょうか。


堀と考えられる遺構が掘りあがりました。幅は約8mあります。2列目の人が並んでいる部分は幅が半分ほどに狭まっており、出入り口に当たると考えられます。


写真奥の田んぼが狭くなっている部分が、堀の延長のように見えます。

上大作裏遺跡(10月2日~10月6日)


拡張した範囲を徐々に掘り下げていきました。遺物が多く出土するのは下層部なので、1回に3cmほどの掘り下げを繰り返し行います。


「ホレ、まだ出やたよ。」土器や石器の小さな破片が主ですが、場所によってはカゴがいっぱいになるくらい出土します。


弥生土器(上)や須恵器(右)に混じって、ヤジリや石箆など石器の完形品も見つかりました。

加藤屋敷遺跡(10月2日~10月6日)


D区で新たに検出された住居跡です。D区内では3つの住居跡が見つかっています。南側(写真右)と西側(写真下)の方に、柱跡が並んでいます。


C区で検出された住居跡の一部と思われる遺構です。ここでは、須恵器片がまとまって出土しました。遺構の残り部分は、隣にある用水路の下に続いているようです。


現在D区では主に、遺物が含まれている層をどんどん掘り下げています。砂層で水分が多く、作業員さんも大変です。

下叶水遺跡(10月2日~10月6日)


今週から調査区南側の遺構精査に入りました。南側は固い礫の地盤が広がっており、掘り下げ作業も大変です。


南側の精査状況です。礫の地盤に黒い土が帯状に広がっています。ここには最近まで集落があり、住宅の基礎であるコンクリートや近代の陶器などが多く出土します。

2006年10月03日

上大作裏遺跡(9月25日~9月29日)


今週は調査区東側と南側の壁を取り除いて、一部拡張することにしました。


表土はスコップで粗掘りしましたが、これから先は遺物が多く含まれる層なので、移植ベラで少しずつ掘り下げます。


こちらは東壁側の拡張区です。周辺の田んぼはすっかり黄金色になり、今週から一部で稲刈りが始まりました。

天王遺跡(9月25日~9月29日)


川跡を掘り下げたところ、直線的な壁が現れました。自然の川ではないようです。


反対側から見た様子です。溜め池のような施設か、屋敷を区画する堀の可能性があります。

下叶水遺跡(9月25日~9月29日)


北西端の礫の地盤になります。右側に見える黄色のシルト地盤と同じように、柱穴や土坑など遺構の広がりが見えます。


礫の地盤で確認された柱穴群です。遺構の半分だけ掘り下げると、掘り込みの深い柱穴が弧状にまわっており、竪穴住居跡の可能性もあります。


調査区東側では河跡(SG2)の下層から埋設土器が出土しました。河跡下の柱穴や土坑などの遺構を掘り込んでおり、それより新しい時期に埋設土器があったことがわかります。

檜原遺跡第2次(9月25日~9月29日)


B区拡張部分の遺構です。床面が真っ赤に焼けています。いまのところ遺物は出土していません。このような遺構がほかにいくつもあります。


河川跡のトレンチ掘りの状況です。トレンチ内からは須恵器や土師器などの遺物が出土しています。

加藤屋敷遺跡(9月25日~9月29日)


D区の住居跡(ST5)のカマドと思われます。土が焼け、赤茶色になっている部分を丁寧に掘っていきます。


調査も後半に入り、遺構精査と図面記録の作業が忙しくなってきました。これは、C区の住居跡(ST13)を掘り下げているところです。


遺構を図面に記録し、特徴を細かく書いていきます。

上野遺跡第2次(9月25日~9月29日)


9月半ばの雨の影響を受けて、予定より3日程遅くなりましたが、上野遺跡第2次調査が終了しました。昨年に引き続いての調査でしたが、遺跡の広がりが確認できたことは、大きな成果でした。


調査区の引渡しに備えて、最後の見回りをしていたところ、風倒木痕と考えられる遺構から、縄文土器片を発見しました。掘り下げてみると、縄文土器の口縁部や底部が、ある程度固まって検出されました。


縄文土器片のアップです。出土遺物が少なかっただけに、上野遺跡(第2次)の性格を探る際に、大きな手がかりとなりそうです。

2006年09月28日

天王遺跡(9月19日~9月22日)


A区拡張部分の遺構を検出しました。溝や柱穴が見つかりました。


B区の拡張部分です。右下の水溜りからつながる蛇行した川跡と、左側の直線的な溝跡が見つかりました。


川跡の掘り下げを始めました。鎌倉時代頃の陶器や、石臼の破片、平安時代の須恵器などが出土しています。


川跡の最上層から出土した板碑です。2基並んで彫られていたものと考えられます。

檜原遺跡第2次(9月19日~9月22日)


床面が真赤に焼けている遺構を掘りました。この地区からは4ヶ所見つかりました。別の地区からも見つかっています。


秋晴れの日が続きました。絶好の調査日和です。

加藤屋敷遺跡(9月19日~9月22日)


C区のSX16から木簡が出土しました。文字は確認できていませんが、荷札等に用いられたものと考えられます。


以前ご紹介した、D区の東側角の地区を精査したところ、住居跡(ST5)であることがわかりました。床の部分には、粘土が貼ってあるようです。


先ほどの住居跡(ST5)のすぐ隣からも、土器の大きな破片が出土しています。

檜原遺跡第1次(9月19日~9月22日)


E区の完掘状況です。細長い調査区で、建物跡と思われる柱跡群と、東西の溝跡を3本検出しました。


D区の全景です。D区から連なる溝跡がL字形に折れ曲がり東に延びています。また、大小のピットや土壙・井戸跡が検出されました。 以上、9月22日で檜原遺跡第1次の発掘調査を終了しました。

上大作裏遺跡(9月19日~9月22日)


調査区の北西端からの全景です。写真奥は建設中の113号バイパスの盛り土です。そこから眺めると・・・


調査区全体を見渡すことができ、絶好の撮影ポイントです。


遺跡は河岸段丘上に立地しており、調査区の端部は元の河道にあたります。底の部分では常時湧水があるため、排水しながらの作業です。

下叶水遺跡(9月19日~9月22日)


河跡(SG2)の下から検出された遺構の精査を行いました。右側の河跡から15m程の範囲に遺構が広がっている様子がわかります。


河跡(SG1)近くの遺構の集中域で遺構を掘り下げてみると、石組みの柱穴や大型の土坑が確認されました。河沿いに当時の集落が広がっていたことがうかがえます。


調査区の東側で、右側の遺構は河跡(SG2)の下層です。河跡(SG1)から遠ざかると遺構が希薄になっていきます。

上野遺跡第2次(9月19日~9月22日)


7a区西部には、縄文時代の風倒木痕があります。その周辺から、縄文土器片が何点か検出されています。


左前方のやや黒ずんだ部分は、縄文時代の風倒木痕と思われます。左後方には、中世の建物址が確認されています。


7a区の東端(現在の住宅地に隣接する部分)は、水気を多く含む砂地の地盤になっています。昨年の一時調査で検出された柱材が、ここでも3点ほど検出されています。


3週間の2期調査も終盤を迎えました。今回の調査は、果樹園地帯を横切る約6m幅の調査区において実施されました。南陽市上野地区の遺跡の広がりが、おおよそつかめてきました。

2006年09月25日

檜原遺跡第1次(9月11日~9月15日)


説明会には、約50名の見学者が訪れました。遺跡の概要 立地と環境、主な遺構、主な遺物について説明し、最後に全体のまとめと質問に答える時間を取りました。晴天に恵まれ絶好の説明会となりました。


今回の調査では、中世から近世の建物跡や土壙・溝跡・井戸跡などが検出されました。そして溝跡からは鎌倉時代とおもわれる甕の一括資料が出土しました。その他、いろいろな陶磁器片が出土しており、これからの研究や分析が期待されます。

上野遺跡第2次(9月11日~9月15日)


雨続きでコンディションが悪いため、ブルーシートを極力かけたまま狭い範囲で精査を行っています。


7c区は、昨年の一次調査における3区に接する地点ですが、昨年の調査時と同様、縄文時代の遺構が点在しています。この柱穴からは、底部壁面から縄文土器片が検出されました。


7a区は、中央の微高地部分に遺構が集中しています。中世の柱穴群に混じって、縄文時代の遺構も散見されます。溝跡または河跡から、縄文土器片が検出されました。

檜原遺跡第2次(9月11日~9月15日)


B区拡張部分の遺構検出作業です。削っている土は、粘土あり、砂ありで変化に富んでいます。


今週は天候が不順で雨の日が続きました。気温も急に下がり、遺構を掘る手が冷たくなってきます。

上大作裏遺跡(9月11日~9月15日)


今週は雨の日が多く、現場での調査ができない日もありました。こんな時、普段は手の回らない事務所周辺の草刈りを行ってすっきりさせました。


雨の影響もあって、日がたつと土の色がくすんでしまうので、再度削り直してから調査にあたります。


調査区からは弥生時代と平安時代の土器が出土していますが、住居跡は見つかっていません。遺構の分布状況などから考えて、写真奥の畑の方が遺跡の中心であったようです。

天王遺跡(9月11日~9月15日)


調査区の南側に新しい工事用道路が完成しました。


今まで工事用道路のあった北側の調査に入ります。テープを張って調査区の範囲を決めました。


雨の続いた一週間でしたが何とか表土除去が終わりました。来週から拡張部分約1,500平方メートルの本格的な調査に入ります。

加藤屋敷遺跡(9月11日~9月15日)


C区北側で住居跡が確認されました。同じC区内ですが、先週お伝えした住居跡とは、大分離れています。写真中央の黒い長方形の土の部分です。


また、C区では鉄製品も出土しました。今のところ、これ以外に鉄製品は出土していません。何に使われたものか、いつごろのものか興味深いです。


今週は作業中、雨に降られることが多く大変でした。来週は秋晴れを期待したいです。

下叶水遺跡(9月11日~9月15日)


南側の調査状況です。写真の右上に見えるブルーシートで保護しているところは河跡です。調査区北側と同じで、河跡のそばから柱穴や竪穴住居跡と思われる遺構が確認されました。


上の写真の河跡のすぐ西側で見つかった遺構です。大きさは幅2mほどで、小規模な竪穴住居跡の可能性があります。ベルトをかけ、若干掘り下げたところ、川原石が出土しました。


週前半の長雨による遅れを取り戻すべく、少々の雨でも発掘を決行しました。掘る場所以外はビニールシートをかぶせたまま保護して、泥にまみれて作業をしました。作業員さん、ご苦労さまです。

2006年09月14日

檜原遺跡第1次(9月4日~9月8日)


南北に細長いE区の中央部から北側にかけて調査が進みました。突然の降雨で冠水することもありましたが、予定通り作業が進んでいます。


E区の中央部に検出した幅5mほどの溝跡を調べました。深さが1m50cmほどもありました。遺物は陶磁器が数点出土したのみでした。

檜原遺跡第2次(9月4日~9月8日)


遺物が土坑から出土したようすです。須恵器の坏や壷、甕、土師器の坏などの種類が見られます。


遺跡の広がりが確認されたことから、B区の拡張がはじまりました。拡張した面積は、約1,000㎡です。

天王遺跡(9月4日~9月8日)


調査の終了した南側に工事用の仮設道路を作っています。


仮設道路の工事の間、遺構の測量を行ないました。


調査区の中央に流れている溝の断面を記録しました。最下層には水が流れていたことを示す砂が堆積していました。上層には砂と泥が交互に堆積しています。

上野遺跡第2次(9月4日~9月8日)


今回の調査区は、ぶどう園だったところです。ぶどうの収穫を待って、第二期調査の開始です。


約6メートル幅の細長い調査区の表土を重機で除去していきます。


この区画からは、水道管敷設による撹乱が見られる以外、特別な遺構は検出されませんでした。

下叶水遺跡(9月4日~9月8日)


埋設土器のあった河跡(SG2)の下から柱跡や貯蔵穴と思われる遺構が検出されました。写真右側の黒く広がっている遺構は河岸です。遺構は河跡から15m程の範囲に分布しており、河跡から遠ざかるにつれて遺構が希薄になっていきます。


北西側の調査状況です。写真右側の黒く帯状に伸びる遺構は河跡(SG1)です。西側には、シルト層と砂利の地盤が広がっています。河跡すぐそばの安定したシルトの地盤には、柱穴跡や土坑など遺構が分布しています。


写真は柱穴(SK327)の半截状況です。矢印で示した範囲は柱の跡(アタリ)になります。この柱穴跡は、周りに石を組んで、柱をしっかり固定していたことが窺えます。

加藤屋敷遺跡(9月4日~9月8日)


今週は調査区の真ん中にあたる、C区とD区の遺構を主に掘り下げました。


D区の東側角の地区から、土器の破片がまとまって出土しました。大形の破片も含まれおり、どういう場所だったのか、さらに調査を進めていきます。


C区では竪穴住居跡が確認されました。奈良時代~平安時代のものと考えられます。遺物のほかに、焼けた土の跡も見つかりました。今後が楽しみです。

上大作裏遺跡(9月4日~9月8日)


週の前半は好天に恵まれ、発掘調査も順調に進みました。


木曜日の雷雨により、金曜の朝はご覧のような状況に。排水を終えてて土が乾くまで、この箇所には入れそうもありません。


調査区の地盤は砂地の部分が多いので、水捌けは良好です。後方の低地が乾く間、ほかの遺構を掘り下げていきます。

2006年09月05日

檜原遺跡第1次(8月28日~9月1日)


調査区から県道をはさんで西に地蔵堂と板碑がたっています。加藤和徳氏は『中世奥羽と板碑の世界』(共著)の中で、板碑を紹介しています。これによると板碑の主尊は阿弥陀如来で、正面下に永仁2(1265)年の年紀があるようです。


調査区南側の柱穴の集中域を写したものです。北側に東西に溝が走っており、その遺構より南側に多数の柱穴が存在します。


区画している溝です。断面形がV字になっており、薬研堀のようになっています。幅が1間ほどで、検出面からの深さは1mを超えています。

下叶水遺跡(8月28日~9月1日)


沢跡(SG1)から出土した遺物の取り上げ作業です。土器がつぶれて破片がまとまった状態なので、周りの土ごと取り上げを行っている状況です。


調査区西側に位置する柱穴・土坑群の半截(はんさい)作業に入りました。


写真は、今まで沢跡から出土した土偶(どぐう)です。土偶とは人の形につくった土の人形で信仰的な遺物ではないかとされるものです。出土した土偶は、目・鼻・口がはっきりと表現されており、なかには女性の特徴を誇張したものもあります。

加藤屋敷遺跡(8月28日~9月1日)


先週お伝えしたA区の井戸跡です。周りに少し石がありますが、素掘りの井戸のようです。


B区の溝跡も先週に引き続き、掘り下げました。深さは、80cmくらいあります。


C区の遺構検出作業の様子です。

上大作裏遺跡(8月28日~9月1日)


調査区縁の部分は元々の地形が低地であり、耕地整理の際に平坦化されたようです。掘り下げると、土器や石器の小さな破片が数多く出土しました。


土器は今から約2000年前の弥生時代中期のものと、平安時代のものが混在しています。弥生土器は昨年調査した百刈田遺跡のものと似ており、同年代と思われます。


遺跡から南陽市街地方面(東方)を望みました。雨上がりの後で虹がかかり、空気も秋の気配を感じます。

天王遺跡(8月28日~9月1日)


今週はほぼ掘りあがった調査区の空撮を行ないました。撮影前の掃除の様子です。雨が降ったりやんだりの天気の中での作業でした。


ラジコンヘリで撮影しました。


調査区の中央を流れる溝の跡です。溝の底や壁は、水の流れで複雑な形に削られています。

檜原遺跡第2次(8月28日~9月1日)


B区の南側の遺構精査に入りました。ここからは何が見つかるでしょうか。


先週に引き続き、真赤に焼けた床面を持つ遺構その2です。奥のほうに溝状に掘り込まれたところがあります。

2006年09月01日

天王遺跡(8月21日~8月25日)


B区の調査も大詰めです。幅1~2m程の溝を皆で掘り下げました。


幅30センチ程の溝が4~5本並んで見つかりました。このようなまとまりが数ヶ所見つかっています。畑の跡と考えられます。

檜原遺跡第2次(8月21日~8月25日)


床面が真赤に焼き締まっている遺構です。同じような遺構がもう2箇所で見つかっています。何に使われたのでしょうか。


古い川跡の一部を掘りました。川底から平安時代の土器が見つかりました。

檜原遺跡第1次(8月21日~8月25日)


8月21日いよいよ調査が開始されました。これは鍬入式の模様です。炎天下の中行われました。


調査区は1,275㎡で南北に長く、途中用水路があるため、便宜上北側をD区、南側をE区としています。これは、面整理の模様です。地山は粘土混じりの砂でとてもかたく、作業も大変です。


面整理の後、遺構検出を調査員が行い、その線にそって白線がひかれます。これは、調査区全景を北側から写したものです。区画溝が南北に走っているのがわかります。

加藤屋敷遺跡(8月21日~8月25日)


A区の井戸跡と思われる遺構です。今後、さらに掘り下げていきます。


B区の溝跡と思われる遺構を掘り下げました。水が出てくるため、作業員さんも掘るのが大変だったようです。


B区の溝跡と思われる遺構から、勾玉が出土しました。

上大作裏遺跡(8月21日~8月25日)


遺跡は奈良・平安時代の集落跡で、周辺より一段高い台地上に位置します。現表土からは深いところで約80㎝下まで掘り下げると当時の生活の痕跡が見つかります。


調査区内には、さくらんぼなど切株が残されたままです。重機で抜き取ると、遺構が壊れるので注意深く人力で抜根します。


調査区の東域を見たところです。地面には黒い土が円形や溝状に現れてきます。これらが何かしらの遺構で、これから掘り下げていきます。なお、工事用の盛土の先が「天王遺跡」です。

下叶水遺跡(8月21日~8月25日)


沢跡(SG1)の東側から石棒が出土しました。棒の先をこぶ状にふくらませた部分がよく残っています。


今週の土曜日に、ダム湖となる旧街道を歩く「湖底ウォーク」が催され、約150名の皆さんが遺跡の見学に訪れました。


今週は沢跡(SG1)の右岸に位置する遺構群の半截作業を行ないました。

2006年08月22日

加藤屋敷遺跡(8月14日~8月18日)


お盆明けの最初の作業は、すっかりのびてしまった調査区内の草刈りでした。


蒸し暑い中、A区にもどって遺構の掘り下げ作業を進めました。この日(18日)は、午後になって突然の雷雨に見舞われ大変でした。

檜原遺跡第2次(8月7日~8月11日)


B区北側部分の遺構検出状況です。大きな川跡と焼土がたくさん入った遺構が見つかりました。


B区の遺構精査をはじめました。連日30℃を越える暑さの中での調査に少々バテ気味です。


来週、発掘調査はお盆のため休みになります。あちこちに穴が開いていて危険ですので、中には入らないようお願いいたします。

天王遺跡(8月7日~8月11日)


小さいほうの調査区(B区)の遺構精査に入りました。


最上徳内記念館に博物館実習に来ていた学生さんが発掘調査の実習に来ました。遺構の掘り方や測量、土器の洗浄について勉強していきました。


来週一週間は夏休みです。シートを敷いて遺構を保護します。

加藤屋敷遺跡(8月7日~8月11日)


今週も暑い中での作業が続きました。とくに鋤簾で土を削る作業は、体力が必要です。


E区から検出された、川跡と思われるところに白線を引きました。今後、さらに調査を進めていきます。


D区の掘る範囲を広げたところ、今週も土師器や須恵器の破片が出土しました。

下叶水遺跡(8月7日~8月11日)


火曜日に下叶水小中学校の皆さんが発掘調査の体験学習に来てくれました。とても暑い中でしたが、皆さん一生懸命調査に取り組んでくれました。


埋設土器の取り上げ状況です。作業員さんが上手に掘り上げてくれた土器の表面を保護し、外側を大きく掘り込んで土ごと取り上げます。


沢跡(SG1)の2層目から出土した遺物分布状況の空中撮影です。当日は快晴に恵まれ、ラジコンヘリを用いて沢跡の全景と、低空でグリッドごと撮影する2つの撮影を実施しました。

石畑遺跡(8月7日~8月11日)


調査区南側の遺構です。底面から完形の土器が出土しました。その脇にある石を取り上げたら石皿でした。


調査区南(B区)の全景写真です。調査区の全てを掘りきり、業者による遺構測量を行っています。


調査区から北側を見た時に入道雲が広がってきました。今年も残暑厳しくなりそうです。今週にて発掘調査は終了となります。

2006年08月08日

檜原遺跡第2次(7月31日~8月4日)


B区と呼んでいる調査区です。A区を終了し、いよいよ本格的にB区の調査に入ります。


B区の遺構検出作業です。梅雨も明け、暑さが厳しくなってきました。午前中でも汗びっしょりです。

下叶水遺跡(7月31日~8月4日)


今週は、出土した遺物の記録作業を行ないながら、沢跡の中央域から北西域まで調査範囲を広げて作業を行いました。


SG1(沢跡)中央域の作業状況です。この地点でもつぶれた状態の土器や石器が多く出土します。


SG1(沢跡)南東域では、掌に収まるほど小さい土器が出土しました。一般にミニチュア土器と呼ばれるもので、その小ささから当然、日常使う道具でなく、祭祀の時のお供え用として使われたものと考えられています。

山ノ下遺跡(7月31日~8月4日)


8月2日に山ノ下遺跡と稲荷山館跡合同で現地説明会を行いました。


現地説明会が終了した後に土器の取上げを行いました。大変もろい状態であるため、丁寧に取上げています。

加藤屋敷遺跡(7月31日~8月4日)


E区はすっかり冠水し、連日排水作業をして水が引くのを待っています。


今週は、D区を掘り下げました。須恵器の破片などが出土し、範囲を広げながら掘っています。


梅雨明けし、これからは毎日暑い中での作業が続きます。

稲荷山館跡第2次(7月31日~8月4日)


写真手前の溝を掘り始めました。また先週から引き続き、土塁の盛られた土を取り除いています。


館方向から撮った写真です。柱穴が10基ほど見つかりました。土塁や溝をすべて掘り終わり、8月4日に調査を終了しました。

石畑遺跡(7月31日~8月4日)


現在調査中の南端畝状遺構です。近世以降のものと思われます。


調査区北側の完掘の状況です。地山が砂地なので、雨が降ると遺構上端が崩れてきそうです。今週から地形測量の委託業務が始まります。


調査説明会が8月4日(金)14:00~行われました。60名の参加を得て、会場いっぱいに人があふれました。地元の方々の参加も多く、周囲に支えられ、ここまで調査が進められたことを実感しました。

天王遺跡(7月31日~8月4日)


雨続きで手がつけられなかった溝の測量を行ないました。残しておいたベルトで土の堆積の様子を記録しました。


測量が終わると、あっという間にベルトがなくなっていきます。


うきたむ風土記の丘考古資料館に博物館実習に来ていた学生さんたちが、発掘の実習に来ました。

2006年08月01日

檜原遺跡第2次(7月24日~7月28日)


A区の調査が終了しました。器材を撤収し、B区へと移動します。


B区の調査を本格的に開始しました。遺構検出と同時に調査区内にある果樹の根を除去しています。遺跡をなるべく傷つけないよう細心の注意を払います。


遺跡に珍客。畜産所から脱走した牛が現場へやってきました。この後、飼育員による大捕物がありましたが、幸い無事に済みました。ただ現場には必死な牛くんの深い足跡が残りました。

天王遺跡(7月24日~7月28日)


以前お伝えしたときには半分だけ見えていた円形の板です。割れた部分は桜の皮でつながれていました。


木が風で倒れたときにできる痕跡が見つかりました。地山の黄色い土の下に黒い土が斜めに入り込んでいるの特徴です。昔から風の強い場所だったことがわかります。

山ノ下遺跡(7月24日~7月28日)


今週も雨が降ったために、遺構内には水が多く溜まりました。汲んでも汲んでも、土の中から湧き上がってくる状態でした。早く梅雨が明けてほしいです。


今週は調査区内の標高を測ったり、遺構の図面を書いたりという記録作業を中心に行いました。

石畑遺跡(7月24日~7月28日)


A区北側の柱穴群です。いくつか列をなしているものもあり、建物跡の可能性があります。


調査区北側A区の北半分の調査が終了しました。これは完掘した遺構の全景写真です。大小の穴が多数あります。


調査区中央の土坑から発見された縄文土器です。深鉢と思われます。

稲荷山館跡第2次(7月24日~7月28日)


今週から土塁の調査を行いました。斜面での発掘作業は無理な姿勢で行うため、とても大変です。


調査区の全景です。写真の中央部にある盛り上がった部分が土塁になります。土塁を半分だけ掘り、土がどのように盛られたのかを調べます。


ふ化した蝉を見つけました。キラキラと光っていてとてもきれいでした。7月は雨が多いですが、少しずつ夏に近づいているようです。早く梅雨が明けて、晴れた空の下で元気な蝉の鳴き声が聞きたいです。

加藤屋敷遺跡(7月24日~7月28日)


C区の遺構状況です。溝状の遺構などが確認されました。


E区から川跡が検出されました。重機で掘り下げたところ、表土の約2m下の深い地点から須恵器が出土しました。


雨が降った日に、これまで出土した土器の一部を洗浄しました。

下叶水遺跡(7月24日~7月28日)


今週から東西に伸びる沢跡(SG1)の中央域での作業に入りました。どんな遺物が出土するか楽しみです。


沢跡の東域の作業状況です。沢に堆積する土の二層目まで掘り下げをおこなっています。この層からも遺物がたくさん出土しており、注意しながら掘り下げていきます。


この球状の遺物は、土錘(どすい)という漁網のおもりに使われたものです。しばりつけるための溝が十字に入り、真ん中に貫通した孔があります。

2006年07月28日

石畑遺跡調査説明会

石畑遺跡の調査説明会を開催します。
ぜひご参加下さい。

日時 平成18年8月4日 午後2時~

場所 石畑遺跡発掘現場(南陽市金山川西字石畑3519番地ほか) 地図

成果
 縄文時代中期から後期・晩期に関わる土器や石器が各種の遺構から出土しているほか、奈良・平安時代の住居跡の一部を検出しています。

問い合わせ
現場携帯 090-1939-4341
埋蔵文化財センタ- 023-672-5301

2006年07月25日

檜原遺跡第2次(7月18日~7月21日)


A区の調査も最終段階です。調査区からは数棟の掘立柱建物跡が見つかりました。建物によっては、2~3回建て替えられた痕跡も見られました。


ラジコンヘリコプターによる上空からの遺跡写真撮影です。小雨の中を決行しました。

天王遺跡(7月18日~7月21日)


柱の穴と考えられる小さな遺構の調査に入りました。柱の跡を探すために少しだけ掘り下げます。


黒い部分が柱の跡です。その周りに、柱を据えたときに埋め立てた土が確認できました。


雨が降ると水と一緒に砂がたくさん流れてきます。特製のろ過装置が大活躍です。

稲荷山館跡第2次(7月18日~7月21日)


今週から稲荷山館跡発掘調査が始まりました。調査区が低い位置にあるため、水が溜まりやすい場所です。


調査区内の杉の切り株を除去しています。作業員さんが手際よく根を切り落としていくので、あっという間に取り除かれました。


これは中世の土の鍋で、内耳土鍋というものです。米沢では出土する遺跡が多いです。

山ノ下遺跡(7月18日~7月21日)


拡張した部分も完掘がほぼ終わりました。後は記録作業が中心となります。


ラジコンヘリを飛ばし、上空から調査区を撮影するところです。撮影日の木曜日は天候に恵まれ、ホッとしました。


モニターを見ながら、撮影場所を指示します。

石畑遺跡(7月18日~7月21日)


連日の雨で、東側を流れる吉野川の水位も上昇してきました。


調査区北側の土坑の半分を掘ったところです。縄文土器とともに石製品も出土しました。


調査区北側の土坑から縄文時代の注口土器が出土しました。赤く塗られているようです。

加藤屋敷遺跡(7月18日~7月21日)


今週も雨を気にしながらの作業でした。これは、B区の黒い土の部分を掘り下げている様子です。


C区から須恵器の壺が、ほぼ完全な形で出土しました。さらに全体を掘り下げて、調査していきます。

下叶水遺跡(7月18日~7月21日)


先週に引き続き、沢跡の掘り下げ作業を行いました。今週前半は悪天候の日が続いたため、排水作業をしながら、晴れ間をうかがいつつの作業でした。


埋設土器(EU111)の内側の土を掘り上げた状態です。土器の周りには赤く焼けた土が広がっています。

shimokanoumizu_0718_3.jpg
現場に集合した途端、激しい雨が降ることも。そんな時は、屋内で遺物の洗浄作業です。溶けてしまいそうな軟らかい土器もあるので、神経を使う作業です。

2006年07月19日

天王遺跡(7月10日~7月14日)


今週は雨のため1日しか作業ができませんでした。来週に期待します。

山ノ下遺跡(7月10日~7月14日)


先週、拡張した範囲より、3つ目の埋設土器が出土しました。土器が大変壊れやすい状態です。慎重に周りの土を取り除いています。


文様は縄文のみで、底部はない状態で埋められています。

檜原遺跡第2次(7月10日~7月14日)


雨の合間をぬっての調査がつづきます。あと少しのところなので梅雨空をうらめしく見上げています。

下叶水遺跡(7月10日~7月14日)


先週の沢跡の精査状況です。沢跡の上面に堆積する土層から石器や土器がたくさん出土しました。


今週は二つの沢跡の重なり合いを把握するため、上面の土を外して、面精査を行いました。

石畑遺跡(7月10日~7月14日)


調査区の南端の遺構検出をしました。最近作られた畑の畝が多数あります。ほとんど近年の攪乱のようです。


調査区の北(A区北側)の遺構の状況です。しばらく調査区の南(B区)の作業をしていましたが、ほぼ精査が終わり、検出のみ行っていたA区北側の作業に移っていきます。

加藤屋敷遺跡(7月10日~7月14日)


雨の影響の少ない調査区の作業を進めました。これはA区を掘り下げている作業の様子です。


掘る作業と並行して、遺構を記録する作業も行いました。


A区の遺構の状況です。

2006年07月11日

山ノ下遺跡(7月3日~7月7日)


先週まで掘っていた範囲を完掘しました。今週の水曜日からは更に北側へと調査区を拡張します。


今週拡張した調査区には大きな桑の木が二つもありました。作業員さん達が手際よく、あっという間に枝を切り落としました。


新たに北側に拡張した部分です。黒い色をした土の部分が遺構となるところです。

檜原遺跡第2次(7月3日~7月7日)


素掘りの井戸跡です。周りに見える石は柱の土台に据えたものです。柱穴は井戸が埋められた後に掘られていました。


区画する溝の中から見つかった不思議な形です。板塀のような垣が設けられていたかもしれません。

加藤屋敷遺跡(7月3日~7月7日)


今週は3つの土器が完全な形で出土しました。これは、D区から出土したもので、須恵器の壺のフタです。


これもD区から出土した弥生土器の壺です。口の部分が少し欠けていましたが、小型のかわいらしい土器です。


これは、E区から出土した土師器の甕です。古墳時代のものと考えられます。トレンチを50cmほど掘り下げた所から出土しました。

天王遺跡(7月3日~7月7日)


日曜日の雨で溝にはたっぷり水が溜まっていました。排水にほぼ一日かかりました。


土坑から円形の板が出土しました。土の堆積の様子から、この土坑は一気に埋められたようです。


前にお伝えした大きな板碑と2基並んだ板碑の近くの水路に、板碑が石組みに転用されていました。

石畑遺跡(7月3日~7月7日)


調査区の南端まで調査が進んでいます。これは平板にて遺構の配置図を作成しているところです。


調査区南側の基本の土層を観察しているところです。砂利層が所々にみられます。

下叶水遺跡(7月3日~7月7日)


調査区北東部の精査状況です。先週に続き、埋設土器の半截と記録作業を行ないました。


埋設土器の断面図を作成している様子です。土器の埋まり方や土の堆積状況を1/10スケールで記録します。


沢跡から磨製石斧と穴を開けたと思われる石製品(RQ270)が出土しました。

2006年07月06日

天王遺跡(6月26日~6月30日)


2条の溝が交わる部分の断面を観察しました。砂や粘土が複雑に堆積しています。


土坑の底から茶臼が出土しました。茶臼はお茶の葉を挽いて抹茶を作るための石臼です。お茶をたしなむ人が生活していたのでしょうか。

山ノ下遺跡(6月26日~6月30日)


先週のブログでお伝えした円形の遺構です。残した十字の部分を観察し、土の色や状態を記録し、この遺構の性格を考えていきます。


先週お伝えした埋設土器を半分だけ掘りました。文様は縄文でした。


ひとつの遺構からまとまって出土しました。土器を落とさないように周りの土を残しながら掘り進めました。

檜原遺跡第2次(6月26日~6月30日)


A区で見つかった大きな溝です。遺跡を囲むように曲がっています。


A区の拡張した部分の遺構です。区画する溝がつながりました。

石畑遺跡(6月26日~6月30日)


南側の調査区北側の遺構の底面から土器が出土しました。1個の土器が土圧でつぶれたようです。


南側の調査区の南側の遺構です。大小の柱穴のほか溝跡も検出されました。

下叶水遺跡(6月26日~6月30日)


今週からSG1a(沢跡)の上面に残る、遺物包含層の掘り下げ作業に入りました。移植ベラに持ち替え、作業員さん総出で取りかかりました。


細かい模様が施された注口土器が出土しました。(RP172)


埋設土器を半分だけ掘り下げた状況です。土器の周りを広めに堀り下げ、土器の埋め方などを調べます。

加藤屋敷遺跡(6月26日~6月30日)


今週は、D区内のトレンチの掘り下げ作業を進めました。これが、現在のD区全体の
状況です。


D区のトレンチ内から、完全な形で須恵器の蓋が出土しました。


同じくD区のトレンチ内から、須恵器の甕と考えられる大形の破片が密集して出土しました。

2006年06月28日

加藤屋敷遺跡(6月19日~6月23日)


暑い日が続く中、遺構検出作業を進めています。この写真はB区のものです。


調査区の全景写真です。


D区にトレンチを設定し5センチほど掘り下げたところ、たくさんの土師器・須恵器片が出土しました。出土した場所には、箸を立てています。

石畑遺跡(6月19日~6月23日)


石組の井戸を完掘したことろです。2m以上掘り下げました。掘方に係わった方々、暑い中ご苦労様でした。


下層の遺構(溝跡)です。現在の検出面から90cm下から縄文時代の遺構が検出されました。土器も数点出土しています。


珍しい来跡者です。日本カモシカが里から山に戻る途中、調査区周辺に現れたようです。しばらく調査の様子をそっとのぞいていました。

檜原遺跡第2次(6月19日~6月23日)


A区の遺構が南側へ広がることから、調査区の拡張を行いました。区画溝がきれいに見つかりました。


新たに調査を開始する区域(B区)の範囲を設定しました。表土の下には硬い粘土層があり、四苦八苦です。

天王遺跡(6月19日~6月23日)


調査区の壁際で溝の断面を確認しました。溝の壁際に溜まった砂と地山がよく似ているため、断面で確認しながら掘り下げていきます。


溝の底から青磁が出土しました(写真右下)。


溝から出土した遺物です。左から珠洲焼の甕、中国産の青磁、珠洲焼の擂鉢です。青磁の内面にはヘラで唐草の模様が彫られています。溝は13世紀ごろに埋まったと考えられます。

下叶水遺跡(6月19日~6月23日)


6月の第1週目にラジコンヘリで真上から撮影した遺跡の全景写真です。


今週の月曜日に、小国町立北部小学校の6年生の皆さんが職場体験にきてくれました。暑い中でしたが、熱心に発掘作業に取り組んでくれました。


SK140の遺物検出状況です。底面から土器や石器が出土しました。写真左上の土器は、急須などのように筒状の注ぎ口がある注口土器です。

山ノ下遺跡(6月19日~6月23日)


拡張した調査区の遺構面です。今週は検出した遺構を掘っていきました。


円状の遺構が検出されました。十字の部分は残して掘り、この遺構の性格を調査して
いきます。


2つ目の埋設土器が出土しました。土器を傷つけないように丁寧に検出しています。どのような土器が埋まっているのでしょうか。この後、半分だけ堀り、土器の状態を調査していきます。

2006年06月21日

山ノ下遺跡(6月12日~6月16日)


今週は調査区の北側を拡張しました。
重機で掘り下げた部分をジョレンを使ってきれいにしています。


拡張した範囲に杭を打つ作業です。
座標を機械で座標を測り、杭の位置を決めていきます。この杭の地点を使って、遺物の出土地点や遺構の位置などを記録していきます。


拡張した範囲から縄文土器などが出土しました。
拡張部分の調査は来週から本格的に始まります。どのような遺構や遺物が出てくるのか、みんな楽しみにしています。

下叶水遺跡(6月12日~6月16日)


今週の作業で、埋設された土器がまとまった状態で検出されました。
現在のところ、北東に位置する沢跡(SG1b)から9基ほど確認されています。


遺構の精査作業に入りました。遺構の半分を掘り下げ(半截作業)、残った半分の土の色や質の違いから埋まった状況や遺構の新旧関係を把握します。


土坑跡(SK10)の半截状況です。遺構内からは、土器の底部や凹石が出土しました。

加藤屋敷遺跡(6月12日~6月16日)


調査区の周囲に掘っている溝から、大きな須恵器のかけらがまとまって出土しました。


今週で重機による表土除去が終わりました。


遺構検出の作業風景です。石灰でマーキングしているところです。

天王遺跡(6月12日~6月16日)


小さなほうの調査区(B区)の遺構検出が終わりました。
右下の黒い部分は川跡と考えられます。


遺構の検出作業も終わり、大きなほうの調査区(A区)から遺構の掘り下げに入りました。
幅2~3mの溝跡から掘りはじめました。


溝の中には砂や泥が交互に溜まり、何度も繰り返して水が流れていたようです。
底には鉄分が付着しています。

檜原遺跡第2次(6月12日~6月16日)


A区の西側がほぼ掘りあがりました。溝に区画された中には、建物や井戸があったようです。


庇付きの大きな掘立柱建物跡です。右側には井戸跡があります。


いよいよ梅雨入りです。これからは、こんな風景が続くのでしょか。

上野遺跡第2次(6月12日~6月16日)


遺跡の完掘状況を写真におさめる際に、調査区全体の土色がきれいに出るよう、面整理を行いました。


調査の結果、遺構・遺物の検出数が希薄であったため、事業関係者を対象にした説明会を実施しました。


ラジコンヘリを使用して、空中から遺跡の全景を撮影してもらいました。

石畑遺跡(6月12日~6月16日)


近世・近代の?石組み井戸跡です。


調査区を西に少し上っていくと稲荷神社があります。幕末にたてられた献燈がひっそりと置かれています。頂上には2棟のお堂があります。

2006年06月15日

石畑遺跡(6月5日~6月9日)

ishibatake-_0605_1.jpg
調査区の南側(B区)の面整理が終了し、全景写真を写しました。まずまずの天気で、遠くの景色までのぞむことができました。

ishibatake-_0605_2.jpg
いよいよB区の遺構精査の開始です。B区は後世の攪乱(かくらん)も多いのですが、遺物も少なからず出土します。今後の成果が期待できます。

ishibatake-_0605_3.jpg
水曜日(6月7日)、大雨直後の調査区の様子です。午後には小降りになりましたが、大雨によって一部冠水してしまいました。そのため、排水作業を行いました。

加藤屋敷遺跡(6月5日~6月9日)


調査区の中央付近にトレンチを設定し、移植ベラで掘り下げました。土の表面が乾燥して固くなり、掘るのにも一苦労です。


掘り下げたトレンチからも、奈良・平安時代のものを中心に土器のかけら等、遺物が出土しました。

天王遺跡(6月5日~6月9日)


大きいほうの調査区の遺構検出が終わりました。写真右奥の杉の木の下に、地元の方が「てんのうさま」と呼ぶほこらがあります。


帯状に砂が堆積した部分があります。他の場所よりやや高く、遺構がたくさん見つかりました。


前に掲載した大きな板碑の近くに、2基の板碑があります。周囲には小型の板碑も何基か並んでいました。

檜原遺跡第2次(6月5日~6月9日)


たくさんの柱穴の中から、建物跡を構成するものを探しています。もう少しです。


この穴にはたくさんの石が入っていました。他の遺構には見られない特徴です。どんな意味があるのでしょうか。

下叶水遺跡(6月5日~6月9日)


写真撮影のため調査区のブルーシートを剥がし、面整理を行いました。以前お伝えした沢跡は、北西に向って二手に分かれて伸びています。


北側から見た沢跡の検出状況です。黒く帯状に伸びる沢跡の両側からは、柱穴や土坑が集中して検出されています。


調査区から検出された遺構の状況と、遺跡全景の写真をラジコンヘリを使って上空から撮影しました。

山ノ下遺跡(6月5日~6月9日)


写真の右端に写っている機械を使って、遺構の標高を測っているところです。


杉の木の根の間から、甕の底部が出土しました。根がとても太く、切断するのが大変です。遺物が出土するため、慎重に根を除去しています。


根の間からは須恵器や高台坏なども出土しました。

上野遺跡第2次(6月5日~6月9日)


暑い中、作業員の皆さん総動員でやや大きめの溝跡の掘り下げを行いました。


調査区の土層の様子を確認するため、基本層序を記録していきます。


作業員の皆さんによって、溝跡の掘り下げがきれいに仕上がりました。断面図を記録した後、完掘作業に入ります。

2006年06月08日

天王遺跡(5月29日~6月2日)


大きな2条の溝が見つかりました。2条が並行していることから道路跡かと考えましたが、調査区の南端で2条の溝は合流していました。時期差をもって付け替えられた溝のようです。


溝跡の西側には柱の跡と考えられる小さな穴が密集していました。


柱の跡とともに、約1~2m大の長方形の遺構が数基並んで見つかりました。

檜原遺跡第2次(5月29日~6月2日)


遺構の掘下げもだいぶ進みました。写真や図面などの記録も大忙しです。


穴の底から四角に組まれた木枠が見つかりました。幅の広い板も出土したことから、縦板と横桟の構造を持つ井戸だったようです。

下叶水遺跡(5月29日~6月2日)


今週の作業状況です。調査区内の表土除去がようやく終わりました。


おぐに保育園の皆さんが遺跡の見学に来てくれました。出土した土器や石器を使った植松主任の説明を聞いて、大昔の人々のくらしに想像をふくらませています。


実際に調査区内で発掘を体験してもらいました。移植ベラを持って慎重に探りながら掘り下げていきます。

山ノ下遺跡(5月29日~6月2日)


縄文時代の埋設土器です。土器の埋設方法を調べるために、土器の周りを少し大きめに掘りました。調査中ですが、担当者・作業員さんともに楽しみにしています。


調査区内の遺構をきれいに掘りました。そして撮影を行い、図面を書いて記録していきます。


タワーを組んで、撮影をします。これは2段ですが、3段の時もあります。作業員さんが総出で組み立てました。

加藤屋敷遺跡(5月29日~6月2日)


面整理と遺構検出作業を継続して行っています。


壁際から水がしみ出し、足元の悪くなった状況での作業は大変です。


調査区の壁際に掘った溝を掘り下げたところ、土器のかけらなどが出土しました。

上野遺跡第2次(5月29日~6月2日)


杭材が検出されました。樹種及び年代について、これから理化学的分析を施す予定です。


検出面における遺構の輪郭が不鮮明なために、間隔を狭めてトレンチ掘りを行いました。土がコンクリートのように固く、作業員さんたちは悪戦苦闘しています。


何日間かかけて、やっと断面を確認できるところまでたどり着きました。固いねずみ色の盤の下に、黒い粘土質層が堆積しています。所々、縦にねずみ色の筋が入っている部分が確認できます。

石畑遺跡(5月29日~6月2日)


調査区の南半分(B区)の面整理状況です。じょれん(便利鍬)を使って、重機で掘削した地面を削って遺構を検出します。作業員の皆様暑い中ご苦労さまです。


調査区の北側(A区)のSX115という不整形の遺構を掘っている写真です。土器などの遺物が出土するため竹べらなどを使って慎重に掘り進めていきます。


SX115から出土した縄文土器です。この遺構だけで2箱以上の遺物が出土しました。

2006年06月01日

山ノ下遺跡(5月22日~5月26日)


今週は円状の穴を掘りました。それぞれ半分だけ掘って性格を詳しく調べていきます。


土の層の図面を書いて調査の記録をとっていきます。

檜原遺跡第2次(5月22日~5月26日)


遺跡を覆う土です。約1.5mの深さで遺構が見つかりました。


遺構を掘り始めました。砂混じりの硬い土です。


埋まり方などを観察するため半分だけ掘りました。下からは水がこんこんと湧いてきます。井戸だったのでしょうか。

天王遺跡(5月22日~5月26日)


土をていねいに削って遺構を探す作業が続きます。


鎌倉時代~室町時代と考えられる壺の破片が出土しました。

下叶水遺跡(5月22日~5月26日)


先週お伝えした河川跡は、二つに分かれる沢跡のようです。調査区西側の横川に向かって伸びています。


面整理の作業中、形の良く残った土器が確認されました。埋葬に用いられた甕の可能性があります。


白沼中学校の皆さんが遺跡の見学に来てくれました。出土した石器や土器を手に取りながら、熱心に植松主任の説明を聞いています。

石畑遺跡(5月22日~5月26日)


調査記録をとる測量作業風景です。


遺物が出土しました。狩りで使った石鏃(やじり)です。

上野遺跡第2次(5月22日~5月26日)


今週から遺構の精査を始めました。撹乱が多く、明確に遺構と判断できるものは少ないようです。


掘り方が見つからない柱穴を半裁すると、断面から杭材と思われる木材が検出されました。


井戸跡かと思われた遺構の断面です。予想したよりも浅く、埋め土の断面からも今のところ遺構の性格をさぐる決定的な手がかりは得られていません。

加藤屋敷遺跡(5月22日~5月26日)


表土除去と遺構の検出作業に入りました。土の層の違いがよくわかるように、鎌で削っているところです。


面整理作業中に出土した遺物の状況です。土師器や須恵器のかけらが出土しています。

2006年05月25日

天王遺跡(5月15日~5月19日)

tennou_0515_1.jpg
重機で表土をはいだ後、人力で土を削って遺構を探します。

tennou_0510_2.jpg
土の色の違う部分が遺構です。柱の跡や、長辺が1m程度の長方形の遺構が多く見つかっています。

tennou_0510_3.jpg
ここでは柱の跡や、畑の痕跡のような溝が見つかりました。

加藤屋敷遺跡(5月17日~5月19日)


5月18日に鍬入式を行い、作業の安全を祈願しました。


調査区の周縁部に溝を掘り、遺構検出面までの深さを確認しています。

檜原遺跡第2次(5月15日~5月19日)


A区と呼んでいる調査区の西側の遺構検出状況です。溝跡や柱穴などが230ほど見つかりました。


同じくA区の東側の遺構検出状況です。中央部分は窪地になっています。

山ノ下遺跡(5月15日~5月19日)


いよいよ、遺構を掘り始めました。これは溝を掘っているところです。溝の中からは土器や石器が出土しました。


溝の底の方からは石箆という切削具が出土しました。


平板測量で、遺構の配置図を作っています。

石畑遺跡(5月15日~5月19日)


石畑遺跡は河川の段丘上に立地しており、北側は竹藪が生い茂っています。竹藪を刈り取りながら調査区の設定を行いました。


調査区北側A区の作業風景です。便利鍬(じょれん)で慎重に遺構を検出する面をきれいにしていきます(面整理)。宅地造成による攪乱などもありましたが、いくつかの遺構が検出されました。


面整理中に出土した縄文土器の破片です。周囲からも細かい土器片や剥片が見つかっています。

下叶水遺跡(5月15日~5月19日)


表土除去後、遺構の検出作業(面整理)を行いました。ジョレンという道具を使って表面を薄く、丁寧に剥いでいきます。


調査区南半部の遺構検出状況です。 面整理で遺構面を綺麗にした後、遺構の周りを水で溶いた石灰でマーキングしました。


調査区東側(写真右)で黒い土が帯状に広がる面を検出しました。おそらく河川跡と思われます。また土坑やピット状の遺構群が検出されました。

上野遺跡第2次(5月15日~5月19日)


川跡らしい黒土の遺構が検出されています。検出された柱穴の数はあまり多くありません。


こちらでも川跡らしい黒土の遺構が検出されています。隅丸方形の遺構は井戸跡でしょうか。これからしっかり精査していきます。

平板測量により、遺構配置図を作成していきます。

2006年05月17日

檜原遺跡第2次(5月9日~5月12日)


調査区の範囲を掘りました。遺構が見つかるところまでの土の深さなどを観察して、表土を除去する時の目安にします。


重機械を使って表土を除去しています。遺跡までは約1mの深さがあります。


遺構の検出作業を始めました。黒く見えるのが遺構です。

下叶水遺跡(5月8日~5月12日)


鍬入れ式(5/8)
本日より、下叶水遺跡の発掘調査が開始されました。発掘調査の安全と成果を願って、鍬入れ式が執り行われました。


調査区遠景 (5/9)
遺跡は小国町の叶水地区に位置し、横川によってつくられた河岸段丘という階段状の地形面に立地しています。


調査区作業風景(5/9) 
調査範囲の設定と遺構検出面までの深さを確認するため、各所で試掘を行いました。 

上野遺跡第2次(5月8日~5月12日)


5月9日に鍬入れ式を開催しました。


表土を除去する前に、試掘トレンチ部分を掘り下げ、地盤の深さを確認しました。


バックホーで表土を除去していきます。遺構や遺物が確認されないかを慎重に確かめながら作業を進めます。

天王遺跡(5月10日~5月12日)


天王(てんのう)遺跡の調査が始まりました。当センター流の鍬入れ式で作業の安全を祈ります。


調査区の周囲に溝を掘り、遺構の見つかる深さを確認しています。


調査区から約300m離れたところに大きな板碑がありました。高さ4.12m、県内2番目の大きさです。文和三年(1354)に立てられたものです。
周囲の集落は、この板碑にちなんで大仏(おぼとけ)と呼ばれています。

2007年01月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

アーカイブ

Creative Commons License
このブログは、次のライセンスで保護されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.