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2006年12月07日

矢馳A遺跡第3次(11月27日~11月30日)


最終になった河川跡を掘り終えたようすです。土師器などの多くの遺物が出土しました。


調査終了時の調査区の全景です。ところどころ、河川跡や基本層序を調べるためのトレンチが見られます。


調査最終日、お世話になったプレハブをきれいにしています。

2006年12月06日

行司免遺跡第3次(11月27日~11月30日)


今年度の調査もこれでおしまいです。残りの遺構を掘りきりました。この炭の集中箇所からは下駄やおびただしい量の土器が出土しました。


調査の最終日は遺跡から出てきた遺物や調査に使った道具をセンターへ搬送しました。これで調査は終了となります。関係者の皆さん、および8ヶ月もの間、発掘に従事した作業員の皆様、本当にありがとうございました。

南田遺跡(11月27日~11月30日)


ラジコンヘリを使用し空撮を行いました。作業員さんもヘリに興味津々の様です。


11月29日をもって南田遺跡の調査は終了となりました。翌日には埋め戻しが始まりました。

興屋川原遺跡第3次(11月27日~11月30日)


調査の実質最終日に調査した古墳時代の形の整わない落込みから、土師器片とともに須恵器坏身が出土しました。


調査の最終日、遺構を覆うシートの重しとして使っていた大量の土嚢を破り、土を調査区内に戻しました。この作業で、調査の全日程が終了しました。

2006年11月28日

行司免遺跡第3次(11月20日~11月24日)


昨年、遺物が大量に出てきた溝跡(SD4)の残りの部分を掘っています。真っ白く見える層は火山灰です。


溝の中から木が重なりあうように出土しました。この中には木製品らしきものもありました。そばには円礫や赤い石(鉄石英)もあります。

興屋川原遺跡第3次(11月20日~11月24日)


今週も雨の中での調査が続きました。E区の柱穴の精査と記録作業の様子です。調査日程も大詰めを迎えています。


井戸になるのではと期待されていた大型土坑ですが、残念ながら井戸にはなりませんでした。

南田遺跡(11月20日~11月24日)


調査区内の標高を記録しているところです。


断面図を作成している所です。標高を測る作業と併せて今週は各記録作業を行いました。

矢馳A遺跡第3次(11月20日~11月24日)


11月19日に現地説明会を行いました。お集まりいただいた58名の方々には、矢馳A遺跡の概要と出土遺物の説明の後、現場内を歩いて遺構を見学して頂きました。


C区西側の包含層から、古墳時代の坏などが出土しています。


C区西側の河川跡(SG1048)から出土した、土製の紡錘車です。直径約4cm、高さ約2cmの円錐形です。

2006年11月22日

矢馳A遺跡第3次(11月13日~11月17日)


河川跡(SG160)から出土した土師器の小甕です。


同じ河川跡(SG160)から出土した甕です。川の床面近くから、潰れて割れた状態で出土しました。

行司免遺跡第3次(11月13日~11月17日)


今月は雨の日が多く、晴れ間を縫って調査を行っています。


木材がまとまって出土しました。何らかの遺構である様で、この中には串のようなものも見られます。

興屋川原遺跡第3次(11月13日~11月17日)


大型建物SB1001は掘り方の断ち割りに入りました。9月までの調査結果と同じく、30cm弱の柱痕跡が確認されています。ただし、底面までは浅く、この地が大きく削平されたことが窺えます。


今週は、ほとんどが雨の中での調査となりました。記録作成にはテントが威力を発揮します。風がなければの話ですが・・・

南田遺跡(11月13日~11月17日)


川跡に残していたベルトを外しています。掘り下げて行くと遺物が出土しました。どうやら古墳時代の土師器の様です。


出土した遺物のアップです。土の圧力で潰されている土器がいくつか見られます。

2006年11月14日

興屋川原遺跡第3次(11月6日~11月10日)


柱穴群は全体の掘り下げでアタリの有無を確認後、半截して底面まで下げ、断面図作成の撮影、ポイント測量を経て、完掘作業、平面図作成用の写真撮影と続きます。F区の柱穴は一部を残して完掘作業に入っています。


SB1001の新たに検出した掘り方の精査にはいりました。

行司免遺跡第3次(11月6日~11月10日)


調査区のいちばん西側から溝跡が検出されました。細い溝は南東を向いており、およそ2m間隔で掘られています。


炭が集中している場所から木製品が出てきました。

矢馳A遺跡第3次(11月6日~11月10日)


C区の河川跡SG160を精査しています。


SG160の遺物出土状況です。炭混じりの黒色土層から、坏や甕など、土師器が出土しています。


SG160から出土した高坏と甕です。

南田遺跡(11月6日~11月10日)


雨の日に遺物の洗浄を行いました。遺物を傷つけないよう気を付けて土を落としていきます。綺麗になった遺物を見て作業員さんもとても満足そうでした。


河川跡から遺物が出土し始めました。これからどんな遺物が出土してくるかとても楽しみです。

2006年11月08日

矢馳A遺跡第3次(10月30日~11月2日)


C区の包含層から土師器が多数出土しています。写真は坩の体部です。


C区西端の包含層から、土師器の坏や甕などが完形に近い状態で出土しています。

南田遺跡(10月30日~11月2日)


調査区北側の遺構検出を行っています。土が非常に見づらく検出が難しい状態です。調査員、作業員共々全員で面整理をしています。


東西に流れる溝跡が検出されました。排水に使用されたのでしょうか?

行司免遺跡第3次(10月30日~11月2日)


先週もお伝えした炭の集中する箇所を更に深く掘り下げると、おびただしい量の土器や焼けた礫がでてきました。


写真の左側に1箇所、右側に2箇所、炭の集中する範囲が見られます。遺物も大量に出土しています。白いラベルの立っているところが遺物の出た場所です。

興屋川原遺跡第3次(10月30日~11月2日)


2間×6間の大きな建物です。2間×4間のSB1002と軸線を同じくしており、計画的な配置が読み取れます。


この土坑からは平安時代の初め頃の須恵器と礎板が出土しました。

2006年11月02日

興屋川原遺跡第3次(10月23日~10月27日)


E区で大形の土坑が検出されました。平安時代の土器を含んでいます。井戸になる可能性もあります。


E区拡張部分の表土除去後、ジョレンを使って掘り下げ遺構の検出作業を行いました。この作業と並行し、検出した遺構の分布図を作る作業も行いました。

矢馳A遺跡第3次(10月23日~10月27日)


C区の包含層から、土師器の甕・高坏など多数の土器が出土しています。


C区の包含層から出土した2点の甕です。潰れて割れていますが、ほぼ完全な形に復元できそうです。

南田遺跡(10月23日~10月27日)


溝跡から出土した遺物の取り上げをしている所です。遺物を傷付けないよう慎重に取り上げています。


調査区を拡張しました。どんな遺構や遺物が出てくるのかとても楽しみです。

行司免遺跡第3次(10月23日~10月27日)


先週紹介いたしました、炭の集中していた箇所を掘り下げたところです。中から土器片が出てきました。また炭を洗ったところ、炭化した米粒が出てきました。


10月28日に現地説明会を行いました。この日は天気にも恵まれ多くの方々が見学に来てくださいました。ありがとうございました。

2006年10月25日

南田遺跡(10月16日~10月20日)


調査区中央にある河川跡の掘り下げを始めました。奈良時代の物と考えられる遺物が多く出土しています。


河川跡から出土した土器です。この他に台の付いた須恵器の坏も出土しています。

行司免遺跡第3次(10月16日~10月20日)


旧河川に注ぐ溝跡(SD5)を掘っているところです。東西に走っており、調査区外にも続いている模様です。


炭が集中している箇所が検出されましたが、真ん中だけは炭が散らばっておらずドーナツのような形になっています。

興屋川原遺跡第3次(10月16日~10月20日)


刈り取りの終わった遺跡周辺の水田に、今年も『冬の使者』白鳥がやってきました。
終日、落ち穂を啄んでいました。


F区の遺構検出が終わり、水路を挟んだ西側、E区の遺構検出作業に入りました。平安時代の柱穴と古墳時代の土器を含む
落ち込みが検出されています。

矢馳A遺跡第3次(10月16日~10月20日)


B区ST1171検出状況 B区東端で住居跡を確認できました。石で囲まれたカマドが出土しています。


C区西側の遺構検出状況です。(北西から)

2006年10月17日

南田遺跡(10月10日~10月13日)


先週お伝えした河川跡の全景です。断面を見るためのベルトを残し、完掘しました。


分層作業をしているところです。土の堆積状況を見ながら層を分けていきます。

行司免遺跡第3次(10月10日~10月13日)


福栄小学校の子ども達が見学に来ました。現場で発掘を体験してもらいました。


地面の一部分が焼けて真っ赤になっていますが炉やカマドの痕跡はみつかりませんでした。

興屋川原遺跡第3次(10月10日~10月13日)


建物の規模が不明だったSB1001は桁行6間、梁行2間の大きな建物であることが分かりました。


F区の表土除去が終わり遺構検出のための面整理作業を行っています。地山との境界付近で平安時代の土器片が多く出土しました。

矢馳A遺跡第3次(10月10日~10月13日)


A区遺構検出状況 調査区を北側に拡張しました。溝跡や土壙を確認できました。


C区の井戸跡から曲物・土玉・斎串(7点)が出土しました。何らかのまじないや儀式が行われていた可能性があります。

2006年10月11日

矢馳A遺跡第3次(10月2日~10月6日)


C区西端の遺構検出を行っています。


RP62出土状況 C区SG160から高坏の脚部が出土しました。

行司免遺跡第3次(10月2日~10月6日)


調査区の南半分は少し掘り下げただけでも、たくさんの遺物が出土し、炭がまとまった状態で検出されます。箸の立っているところは遺物の出ているところを示しています。黒いまとまりが炭の集中している箇所です。


須恵器の底に墨書がありました。片方は「天」と読むことができそうです。

興屋川原遺跡第3次(10月2日~10月6日)


2期工事区内を対象として調査が再開されました。工事用道路となっていたため、重機を使い、路盤の撤去と表土除去を行っています。秋晴れのもと出羽富士と呼ばれる鳥海山もくっきりと望むことができました。


表土除去の終わったところから、遺構を検出するための面削り作業に入りました。今までのところ、柱穴が数基確認されています。

南田遺跡(10月2日~10月6日)


川跡と思われる遺構を掘り始めました。土留めと考えられる板塀が検出されています。遺物の年代から近代頃まで機能していたようです。


遺跡全体を走る暗渠を掘り下げています。土管を埋めたものや籾殻を詰めたもの等があります。

2006年10月03日

行司免遺跡第3次(9月25日~9月29日)


炭のまとまりが見つかりました。小さな土器片も数点発見されました。


炭のかたまりをアップで撮りました。白い粉が散らばっています。

南田遺跡(9月25日~9月29日)


排水溝を掘っている時に検出された土器です。どうやら古墳時代の土器の様です。


南田遺跡から見た夕暮れの景色です。日暮れも早くなり一日一日秋が深まって行くのを感じます。

矢馳A遺跡第3次(9月25日~9月29日)


A区SK1046遺物出土状況 土壙から土師器の甕や坏の破片が多数出土しています。


A区 包含層から須恵器の坏が二点並んで出土しました。手前の土器には、焼成する際に土器同士の溶接を防ぐために藁を敷いたことによってできる火襷痕が残っています。

2006年09月28日

行司免遺跡第3次(9月19日~9月22日)


調査状況を撮影するために地面をきれいにしています。


白いラベルが集中している箇所が先週紹介した遺物が集中している地点です。

矢馳A遺跡第3次(9月19日~9月22日)


B区 土壙の精査をおこなっています。土師器の破片が出土しています。


C区SG160 河川跡にトレンチを入れて掘り下げます。


C区SG160の包含層からは、土師器の坏・甕の破片などが出土しています。

南田遺跡(9月19日~9月22日)


今週から南田遺跡の調査が開始されました。これは重機を使用して遺構が見える面まで土を取り除く作業です。


面整理を行っています。土の違いをきちんと見分けるために行う作業です。

興屋川原遺跡第3次(9月19日~9月22日)


F区では古墳時代の遺物が出土するところが数カ所見つかっていましたが、最終的には遺構ではないと判断されました。


当初予定した調査の最終日を迎えました。今回の調査で見つかった大きな掘立柱建物跡です。

2006年09月25日

興屋川原遺跡第3次(9月11日~9月15日)


平安時代の調査が終了したE区で古墳時代の遺構の掘り下げを行いました。削平が著しいため竪穴住居跡は見つかりませんでしたが、復元可能な土師器を含む土坑が数基見つかりました。


最後の空撮を行いました。各調査区の平面図用の撮影と、調査区全体の俯瞰撮影を目的としました。

行司免遺跡第3次(9月11日~9月15日)


溝の脇を掘ったところ大量の遺物が出土しました。


地面を掘り下げていくと炭が大量に出てくる箇所に当たりました。写真の中央部に板のようなものがあります。その上に焼けた石のかけらが載っていました。

岩崎遺跡(9月11日~9月15日)


木枠井戸を完掘しました。深さは約1メートル50cmです。下からどんどんと水が湧いてきます。


写真撮影に向けて調査区全体の掃除をしています。最近の雨で調査区内に水溜りが出来たり、泥を被っていたりと掃除も一苦労です。


調査終了後の調査区全景です。もうすっかり秋の風景となり、周りのたんぼでは稲刈りが始まったところもあります。9月15日をもって調査が終了となりました。

矢馳A遺跡第3次(9月11日~9月15日)


12日に県議会の文教公安常任委員会の方々の視察がありました。


D区河川跡からおそらく建物の材に使ったと思われる加工痕のある木材が出土しました。


木材に混じって、土師器の坏が出土しました。

2006年09月14日

行司免遺跡第3次(9月4日~9月8日)


今年取り上げた木棺墓の周りを掘り下げていますが、どこも壊れていない土器が出土しました。


上の写真で紹介した土器をひっくり返したところです。裏面には「穴」「太」と考えられる文字が書かれていました。

岩崎遺跡(9月4日~9月8日)


木枠井戸の現在の状況です。木枠がしっかり組まれているのが見て取れます。


柱穴の完掘作業を行っています。700基程あった遺構があっと言う間に掘りあがっていきます。

矢馳A遺跡第3次(9月4日~9月8日)


RQ46出土状況 ST981から出土した石製の紡錘車です。


RP47出土状況 ST981から出土した須恵器の底です。裏に刻印があります。


A区ST981遺構精査 この竪穴住居跡は、残念ながら西半が道路の下に埋まっています。今週は、遺物を残しながら床面まで掘り下げました。石製の紡錘車や、須恵器の坏・甕が出土しています。

興屋川原遺跡第3次(9月4日~9月8日)


1001号建物の掘り方を断ち割りました。径30cmほどの柱痕跡(アタリ)が明確に認められました。しかし、確認面からの深さは浅く、この地域が建物のあった時代より数十cmも切り取られ、残念ながら多くの遺構はすでに削り取られたことが明らかとなりました。

2006年09月05日

矢馳A遺跡第3次(8月28日~9月1日)


A区南  調査区全体を約5センチ下げ、遺構を再検出し、遺構精査を行っています。


A区南  溝跡と土壙が検出されました。今後、土層断面から、遺構に堆積した土の様子や、遺構同士の切り合いを確認します。

岩崎遺跡(8月28日~9月1日)


8月27日に現地説明会を行いました。70名以上の方々が見学に来て下さいました。ありがとうございました。


木枠の井戸を掘り始めました。慎重に木枠の部材を外していきます。土が崩れないように気をつけて堀って行きます。

玉作遺跡第2次(8月28日~9月1日)


トレンチ掘作業
8/31をもって調査が終了しました。

行司免遺跡第3次(8月28日~9月1日)


近世まで使われていた溝跡が調査区にはあります。調査の進行に伴い掘り下げていったところ砂が出てきました。もしかすると、この溝の古い流れかもしれません。


1枚目の写真の奥の方を部分的に掘り下げました。すると杭もしくは柱根のようなものが出てきました。


須恵器の坏がほぼ完全な状態で出ました。内側は真っ黒になっています。

興屋川原遺跡第3次(8月28日~9月1日)


2間×4間(手前1002)、2間×3間以上の建物(奥1001)です。同じ軸線上に並んでいます。


2間×3間の東西棟で、1003と隣接します。掘り方の規模は1001、1002と比べ小規模です。


来週の空撮に備え、E区では澄みきった秋空の中で、遺構内に溜まった雨水を排水し、周囲の清掃に入りました。

2006年09月01日

興屋川原遺跡第3次(8月21日~8月25日)


F区では南北棟の1001号、1002号から離れた位置に、軸線を同じくする2棟の東西棟の建物が見つかっています。その掘り方を精査している様子です。


1001号の掘り方より少し小さくなりますが、梁行き2間、桁行き4間の掘立柱建物跡です。1001号建物跡の北に隣接する、おそらく同時期の建物と考えられます。


F区で見つかった梁行き2間、桁行き3間以上の大きな掘立柱建物跡です。建物の半分は調査区外となっています。

行司免遺跡第3次(8月21日~8月25日)


性格不明の遺構が検出されました。板材を使用しています。


発掘調査は次の段階に入ろうとしています。今までよりも更に古い時期にさしかかりました。地面を削ったところ大量の遺物が出土しました。箸の立っている箇所が遺物の出た箇所です。

岩崎遺跡(8月21日~8月25日)


木組み井戸を半截しました。一辺が約40センチ程しかない小さな井戸です。深さも30センチ位なのですがきちんと水が湧いてきます。


岩崎遺跡の全景です。夏の日差しも段々弱まり、少しずつですが秋の風景に変わりつつあります。

矢馳A遺跡第3次(8月21日~8月25日)


C区井戸跡調査状況 木枠の内部を掘り下げました。縦型の木枠内に、横木が渡されて固定されていることが分かりました。遺物は土師器の破片数点が出土しています。

玉作遺跡第2次(8月21日~8月25日)


現場も終盤戦に入りました。来週からは測量や写真撮影などの記録を中心とする作業を行います。




2006年08月22日

行司免遺跡第3次(8月7日~8月11日)


今週は好天に恵まれ、調査区全体の空中撮影を行いました。


空中撮影のため調査区をきれいに掃除した様子です。この写真からもわかるとおり行司免遺跡は多くの溝が走っていることがうかがえます。

玉作遺跡第2次(8月7日~8月11日)


面整理作業も順調に進み、現在は攪乱層の掘り下げ作業をおこなっています。攪乱層を掘り下げると重機のキャタピラの跡がでてきました。その土の中から多量の遺物(土師器の高坏や甕、須恵器の坏、中世陶磁器、磁器)が出土しています。来週はお盆休みに入り、調査は8月21日から再開します。



矢馳A遺跡第3次(8月7日~8月11日)


RW40出土状況 A区の河川跡から曲げ物が出土しました。


RP41出土状況 A区河川跡の床面から須恵器の坏が出土しました。


RP43出土状況 A区の河川跡から土師器の坏が出土しました。

興屋川原遺跡第3次(8月7日~8月11日)


炎天下、テントを張って作業をしました。


テントの下は日陰になり、幾分作業がしやすくなりました。

岩崎遺跡(8月7日~8月11日)


今週から木組みの井戸を半截し始めました。これからどんな遺物が出てくるのか楽しみです。


丸太をくり抜いて井戸枠とした井戸が検出されました。大きさはあまり大きくありませんが今でも水が湧いて来ています。

2006年08月08日

玉作遺跡第2次(7月31日~8月4日)


今週は梅雨が明け本格的な調査ができました。


岩崎遺跡(7月31日~8月4日)


先週お伝えした古墳時代の遺構から新たに土師器が出土しました。右に見える小さな土師器をRP5、左に見える大きな土師器をRP6としました。


RP5の取り上げを行っています。土器を傷つけないように慎重に周りの土を取っていきます。


取り上げたRP5(右)とRP6(左)です。古墳時代前期の土師器だと考えられます。詳しくはこれから調べていきます。

興屋川原遺跡第3次(7月31日~8月4日)


梅雨も明けました。記録作成用の写真撮影では、テントを設営し、照明を当てての作業となりました。


平面の規模はそれ程ではありませんが、柱根の残るものは特に深いようです。

矢馳A遺跡第3次(7月31日~8月4日)


RP37出土状況 A区の河川跡から須恵器の小壺が出土しました。頸が破損しています。


C区遺構精査  溝跡やピットが集中している場所の遺構精査をしています。


C区溝跡遺物出土状況  土師器の破片が溝跡から集中して出土しました。

行司免遺跡第3次(7月31日~8月4日)


先週に引き続き帯金具が出土しました。鉸具(かこ)という部品でベルトのバックルの部分にあたります。


昨年見つかったSD4と呼んでいる溝の残りの部分を掘り下げたところ火山灰(正面の真っ白い弧状の層)の上から、祭祀に使った木製品やどこも壊れていない須恵器の坏が出てきました。


2枚目の写真のアップです。すぐ脇に祭祀に使われた木製品である斉串がありますが曲がってしまっています。

2006年08月01日

玉作遺跡第2次(7月24日~7月28日)


晴れ間をみての作業の様子。今週も天候がよくなく、晴れ間をみながら調査をする一週間でした。雨で調査区が水浸しになってしまうため、改めて排水溝を掘るなどの作業ばかりで調査が進展しませんでした。早く梅雨が明けて本格的に調査をしたいです。


興屋川原遺跡第3次(7月24日~7月28日)


柱を埋めるために掘った穴に埋め戻された土の様子を記録しています。土色計という機械を使って、色を調べ、土質、含有物などを紙とデジタルデータで記録していきます。今週末までに150基ほどの記録が終わりました。


E区東部の柱穴密集地では直径20~25cmの小さな柱穴が200基以上見つかりました。中には柱根が伴うものもあります。今までのところ、掘立柱建物として把握可能なものは見つかっていません。

岩崎遺跡(7月24日~7月28日)


古墳時代の土師器が出土しました。どうやら、この遺構は古墳時代のものの様です。


今週は晴れ間を見ることが出来ました。暑い日だったので休憩はテントで休みました。

矢馳A遺跡第3次(7月24日~7月28日)


井戸跡から曲物が出土しました。細工の様子なども見て取れるものです。


本遺跡としては珍しい波の文様のある須恵器の甕が出土しました。


C区に検出された井戸跡をほぼ完掘しました。並び方に規則性が見られます。

行司免遺跡第3次(7月24日~7月28日)


調査区南端の東側を削っていくと大量の土器片などが出てきました。遺物が出た箇所は記録が終わるまではそのままの高さで残しておくので、あたりは山だらけになります。


1枚目の写真の一部分です。須恵器(写真左)のそばから帯の金具(写真右)が出土しました。帯に付けるものの種類や大きさは位によって定められていました。これにより行司免遺跡のそばには有力者がいたと考えることが出来ます。

矢馳A遺跡第3次見学


矢馳A遺跡に鶴岡市中山しあわせ会の皆さん約40人が見学にいらっしゃいました。


発掘調査の様子を現地で見学していただきました。


昔の土器などが土の中から掘り出されるのを興味深く見学されていました。

2006年07月25日

行司免遺跡第3次(7月18日~7月21日)


調査区の北端部の調査状況です。写真の上部に昨年の調査で明らかになっていた溝跡があります。今年度の調査で続きが出ており調査しました。およそ2m間隔で溝が南北に走っています。ただし、写真の左側の溝は、やや向きが異なっており、斜めに走る溝も見られます。


上記の溝の続きを調査しています。1枚目の写真の上部にかかっていたシートは、この写真の上部にあたります。

玉作遺跡第2次(7月18日~7月21日)


今週は水汲み作業と面整理作業の繰り返しでした。早く梅雨があけてほしいものです。

岩崎遺跡(7月18日~7月21日)


先週に引き続き今週も遺構の半截作業や記録作業を行っています。


柱穴を半截し、断面を検出した状態です。この柱穴には柱が残っていました。これから写真や図面をとりその後に完掘していきます。

矢馳A遺跡第3次(7月18日~7月21日)


A区RP31  須恵器の底裏に文字が刻まれていました。


B区  竪穴住居跡と思われる遺構の出土状況です。


C区縦組み木枠井戸  井戸の出土状況です。くり抜いた木を使っている部分(手前)と、細かい板を組み合わせている部分(奥)で構成されています。細かい板を組み合わせている部分には横木が渡されています。


C区横組み木枠井戸  井戸を約30センチ掘り下げると、中から木組みが検出されました。

興屋川原遺跡第3次(7月18日~7月21日)


昨年からの継続調査となっていたE区西部の柱根を伴う掘立柱建物2棟(SB350、
351)の完掘状況です。


E区東部で検出した柱穴群の精査に入りました。アタリが明確なものと、柱根を伴うもの
もありますが、掘り方の大きさが径20~25cmの小さなものが多く、組み合わせもわかっ
ていません。この範囲内で100基ほどの柱穴が確認されています。

2006年07月19日

矢馳A遺跡第3次見学


7月12日鶴岡市立黄金小学校6年生の皆さんが矢馳A遺跡の見学に来ました。


今から1500年~1000年程前のムラの跡だと説明を受けました。


遺跡を掘っているところを見るのは初めてです。興味津々です。

行司免遺跡第3次(7月10日~7月14日)


小さな穴の断面です。表面は炭が混じるために黒くなっており、土器が散らばっています。


杭が並んで検出されました。写真、左側は3本、右は1本でています。

玉作遺跡第2次(7月10日~7月14日)


今週も先週に引き続き重機械による表土掘削を行いました。あと少しで終わるのでこれからは人力による調査に入っていきます。


調査区の水没:木曜日の大雨により調査区が水没しました。まだ重機械による表土掘削中だったので助かりました。

岩崎遺跡(7月10日~7月14日)


先週お伝えした様に遺構の半分を掘り下げる作業を始めました。土の色を見ながら慎重に掘り下げていきます。


先週お伝えした井戸跡と思われる遺構を完掘しました。底から水がこんこんと湧いて来ます。この井戸が使われていた当時を偲ばせるような姿です。

木の下館跡第3次(7月10日~7月14日)


炭窯の完掘状況:これにより木の下館跡の調査は終了になります。

矢馳A遺跡第3次(7月10日~7月14日)


RW26出土状況 河川跡SG772の調査区南端から木製の皿が出土しました。


RP25出土状況 河川跡SG772から土師器が出土しました。


B区調査状況 溝跡と河川跡を遺構精査しています。

興屋川原遺跡第3次(7月10日~7月14日)


今週も雨天の日が多く、調査は足踏み状態となっています。図化作業の見通しが立ったこともあり、柱穴群の精査に着手しました。


SB350と名付けられた掘り方の柱根です。柱根は柱穴の一方に偏っていました。この建物では柱根が柱穴の真ん中にあるものと偏っているものが相半ばしています。

2006年07月11日

矢馳A遺跡第3次(7月3日~7月7日)


RW21出土状況  河川跡SG772から木製の皿が出土しました。


B区SD589  中世の区画溝を掘り下げています。


鶺鴒の雛がすくすくと成長しています。

岩崎遺跡(7月3日~7月7日)


6月の4週目にお伝えしました遺構の半分を完掘に向けて掘り始めました。遺物としては木製品や土師器などが出土しています。どうやらこの遺構は井戸跡のようです。


今週から本格的に遺構の掘り下げを始めました。まずは遺構を半分に掘り土の堆積具合を見ていきます。

行司免遺跡第3次(7月3日~7月7日)


7月に入ると途端に雨天が続きました。早く梅雨があけて欲しいものです。


調査区の東側の面整理に入りました。うっすらと周りと違う色をした砂が出てきました。溝が縦横無尽に入っているようです。


曲がる溝跡のようなものが四角い遺構に切られているようです。この他にも曲がる溝のようなものは幾つかあります。

木の下館跡第3次(7月3日~7月7日)


土層断面図作成状況   


炭窯調査完了。 最終段階の実測状況です。炭窯の実測が終わると木の下館跡の調査は終わります。

玉作遺跡第2次(7月3日~7月7日)


草刈風景:今週から玉作遺跡の調査が始まりました。まず草刈作業からです。


小トレンチ掘り:重機械導入のための準備です。


重機械の導入:重機械を導入して調査区全体をひろげていきます。

興屋川原遺跡第3次(7月3日~7月7日)


雨天の日が多く、調査区周辺の雑草ものびました。梅雨の合間の晴れ間に調査区内外の除草を行いました。


先週に引き続きE区の溝跡の精査を行いました。陶磁器やガラス瓶も出土しました。ほ場整備の前までに使われていた用排水路のようです。

2006年07月06日

岩崎遺跡(6月26日~6月30日)


今週は岩崎遺跡の全景を撮影しました。写真はその準備としてタワーを建てているところです。


タワーの上から撮影した遺構集中部の写真です。これから本格的に遺構を掘り下げていきます。どんな遺物が出てくるかとても楽しみです。

興屋川原遺跡第3次(6月26日~6月30日)


遺構検出作業が終わり、今週から精査に入りました。新しい遺構から順次掘り下げていく予定です。


完掘作業を始める前に、掘り方の半截を行なった建物跡の全景写真をとりました。

木の下館跡第3次(6月26日~6月30日)


鶴岡市立上郷小学校の児童40名が遺跡を見学に来ました。


炭窯の断面です。焼け土や炭化した層が見えます。このあと土層断面実測を行います。    

行司免遺跡第3次(6月26日~6月30日)


石が集まっている遺構を掘り下げました。土器が出土した面は、石を集めたときには地面の中に埋まっていたようです。


鶴岡市立上郷小学校の子供達が現場を見学に来ました。


いわゆる赤焼土器が出土しました。この土器の周囲には多くの土器片が散らばっています。

矢馳A遺跡第3次(6月26日~6月30日)


SE592半截  井戸跡の半截をしました。木枠が縦に立った状態で残存しています。断面を見て、土の堆積を確認します。


C区調査状況  遺構精査、写真記録、測量を行っています。

2006年06月28日

興屋川原遺跡第3次(6月19日~6月23日)


今週はE区に戻り、遺構のプランが不明確な部分についてさらに掘り下げながらの検出作業を行いました。


乾燥による地割れと降雨による荒れを防ぐため、遺構の分布する範囲に、シートを掛け、遺構検出面を保護する作業です。

行司免遺跡第3次(6月19日~6月23日)


行司免遺跡の東側は写真のような細い溝が南北に何条か走っているようで、このうち確認できた4条を調査しました。


これもまた溝跡と思われます。このように行司免遺跡は、溝が何条も掘られていたことがうかがえます。

木の下館跡第3次(6月19日~6月23日)


窯跡の調査の様子:斜面にある10基の窯跡の調査を始めました。傾斜がきつい為安全に気をつけながら調査をしています。


炭窯の様子: 炭窯を半截した状況です。焼け土や炭が沢山でています。

矢馳A遺跡第3次(6月19日~6月23日)


C区の溝跡、ピット、土壙の遺構精査をしています。


RP8出土状況 溝跡の底から、土製の玉が1点出土しました。玉には穴が開いています。


D区完掘後の状態を空撮しました。


RP10出土状況  土師器の壺が潰れた状態で出土しました。

岩崎遺跡(6月19日~6月23日)


遺構の半分を掘り下げました。これから断面の写真や図面を取っていきます。


同じ遺構から出土した土器です。完全な形です。これから詳しく時代等を検討していきます。

2006年06月21日

岩崎遺跡(6月12日~6月16日)


先週紹介した溝跡を掘り下げている状況です。
土留めを行ったと考えられる杭や板が検出されています。


井戸跡と思われる遺構の断面を確認しました。

木の下館跡第3次(6月12日~6月16日)


竪穴住居跡を掘り上げた様子
出土遺物が全く無く、いつの時代なのか分かりません。どのように使われたのかも分かりません。


炭を焼いた窯跡
登り窯のような形をしています。写真中央の窯跡上面から須恵器の破片が出土しました。
窯跡との関係はまだ分かりません。


斜面の面整理作業
だんだん斜面がきつくなっていくので作業に苦労しています。

矢馳A遺跡第3次(6月12日~6月16日)


D区SD1遺構精査
溝跡から、杭や板が組まれた状態で検出されました。
今週でD区の遺構精査は終了です。


C区SE515遺構精査
井戸跡が検出されました。四角い木枠が残存しています。


C区SP309遺構精査
ピットの中央から内黒の土師器(坏)と、端から土師器の破片が出土しました。


C区SX244遺構精査
焼土の中に、土師器の破片が固まって出土しました。

行司免遺跡第3次(6月12日~6月16日)


地面を柱状に残していた箇所を掘り下げて地層の重なり具合を調べました。


溝跡(SD5)の調査を行っています。
人が中に入っているこの溝は調査区を東西に流れる溝です。


SD5の断面を撮影しました。

興屋川原遺跡第3次(6月12日~6月16日)


梁行き2間、桁行き4間の南北に長い掘立柱建物跡です。F区東端部では全部で4棟の掘立柱建物が見つかりました。
北東部の2棟が東西棟で南西にあるこの建物を含む2棟が南北棟です。


掘立柱建物跡が見つかったF区から出土した土器は多くはありません。
台の付いた須恵器の坏は建物の時代のものとなるようです。平安時代の初め頃ではないかと考えられます。

2006年06月15日

木の下館跡第3次(6月5日~6月9日)


遺構検出状況:館跡の下方から炭窯と思われる窯跡が4基見つかりました。焼け土や炭くずが残っています。


炭を焼いた窯跡:左に映っている窯跡は焼け土が沢山残っています。登り窯のような形をしています。


炭を焼いた窯跡:丸や楕円形をした炭窯もあります。

矢馳A遺跡第3次(6月5日~6月9日)


遺構登録: 遺構に番号を振ります。番号タグを遺構の横に挿し、図面に番号を記録している様子です。


遺構精査: D区の遺構精査をします。移植ベラを使用して、検出した遺構を掘り下げます。


溝跡にトレンチを設定し、遺構精査します。

興屋川原遺跡第3次(6月5日~6月9日)


F区の東端部で平安時代の建物を構成する柱穴などが見つかりました。今週末までに4棟の建物があることがわかりました。


梁行2間×桁行3間の南北に長い建物跡で、柱穴の大きさが1辺70cmほどの隅丸方形
です。


梁行2間×桁行3間の東西に長い建物跡です。この建物跡の東に隣接して、もう1棟の建物があります。

岩崎遺跡(6月5日~6月9日)


溝跡の掘り下げをしています。遺物から近代まで使われていた溝跡と考えられます。


酒田工業高等学校の生徒さん達が見学にいらっしゃいました。皆さん真剣に説明を聞いています。

行司免遺跡第3次(6月5日~6月9日)


両刃鎌を使って丁寧に地面を削っていきます。きれいになった地面のわずかな土の違いを見つけて溝跡などを見つけていきます。


石が集まっている箇所の調査に取りかかりました。まだ、この遺構の性格はわかりませんが石は熱をうけているようです。


須恵器が出土しました。奈良時代のものです。

2006年06月08日

行司免遺跡第3次(5月29日~6月2日)


東北芸術工科大学の方々に御協力いただいて木棺墓を取り上げる準備をしています。ウレタンを木棺墓の周りなどに流して周囲を固定します。


ウレタンで木棺墓を覆ったところです。


地面から切り離した木棺墓をトラックに積み込む様子です。センターにて保存処理を行っていきます。

木の下館跡第3次(5月29日~6月2日)


2~5段目完掘状況


住居跡の柱穴の様子。規則正しく柱穴が並んでおります。


中世陶器の出土。木の下館跡の時代を示す遺物か?注目しています。

岩崎遺跡(5月29日~6月2日)


検出された柱穴です。画面上に白く見えるのが火山灰と考えられます。詳しくは今後検討して行きます。


柱穴を掘り下げました。丸く残っている箇所が柱があった場所です。

矢馳A遺跡第3次(5月29日~6月2日)


今週は空撮を行いました。


空撮の結果、調査区全体の写真を撮ることができました。これはその1枚です。


調査区を部分的に俯瞰で撮影し、全体をつなげると、こんな写真になります。河跡や土質の違い等々がはっきりと分かります。

興屋川原遺跡第3次(5月29日~6月2日)


今週後半からE区の掘り下げと面整理に入りました。1980年代に行なわれたほ場整備で、重機が遺構面に深いキャタピラー痕を残しています。遺構の保存状態はよくありません。


E区の東半部の遺構が分布する範囲について100分の一の縮尺で遺構配置図を作成しました。

2006年06月01日

木の下館跡第3次(5月22日~5月26日)


館跡上部の様子。館を作った当時の地形がきれいにわかります。


斜面を掘り下げ、段がわかるように掘っていきます。山城の調査は斜面での作業が多く大変です。

岩崎遺跡(5月22日~5月26日)


勾玉が出土しました。とても小さな勾玉です。これから詳しく調べていきます。


柱穴を掘り下げ、柱の確認をしている所です。岩崎遺跡では建物の柱穴が多く検出されています。

矢馳A遺跡第3次(5月22日~5月26日)


C区南西側に大きな溝跡のようなものを検出しました。面をきれいにして観察した結果、大きな河跡の可能性が高くなりました。


C区北側から、土坑のような楕円形の遺構と、柱穴跡が多く見つかりました。大きな楕円形は井戸を掘った跡で、柱穴跡は建物を建てた跡と思われます。


L字に曲がった溝跡が何本か見つかりました。恐らく中世の館を囲っていた溝跡と思われます。

行司免遺跡第3次(5月22日~5月26日)


新たに木棺墓が検出されました。昨年の調査で2基出ており、これで3基目になります。なお、すぐ隣から土器も出ています(写真左側)。


木棺墓は取り上げて埋蔵文化財センターで詳しく調査することにしました。土ごと切り取って運ぶ作業を行ないました。

興屋川原遺跡第3次(5月22日~5月26日)


古墳時代の土器とともに、小刀とみられる鉄製品が出土しました。周囲より黒っぽい炭の含まれる土層に含まれていました。


E区の面整理も東端に近くなり、ようやく古墳時代の遺構が分布する地区に入ってきました。土器が含まれる穴や柱穴などが見つかっています。

2006年05月25日

岩崎遺跡(5月15日~5月19日)


柱穴列を検出しました。建物でしょうか、柵でしょうか?


柱穴です。柱が残っていました。

興屋川原遺跡第3次(5月15日~5月19日)


昨年度の排土除去が終わり、調査区の西側から遺構検出のための面削り作業を始めました。


昨年、積雪のため調査を中断せざるを得なかった建物跡を再検出しました。2間×3間の掘立柱建物跡が2棟です。柱根も残っており、乾燥防止にポリ袋で覆っています。

矢馳A遺跡第3次(5月15日~5月19日)


調査区に10メートル間隔の杭を打ち、グリットを設定します。


面整理によって出土した遺物です。左上、鉄製品。左下、管玉。右上下、古銭。


D区の遺構検出後の写真です(東から)。溝跡、ピット跡などが検出されました。

木の下館跡第3次(5月15日~5月19日)


郭土層断面:上から7段の曲輪を確認することができました。この写真は、2段目から撮影しています。  


斜面の調査状況:木の根っこをはずしながらの調査なので、手間がかかっています。

行司免遺跡第3次(5月15日~5月19日)


先週紹介した炭や木材が見えていた場所を調査しています。何の骨かはまだわかりませんが、炭の上に骨粉のまとまりも検出されました。おびただしい炭の下には木材があります。木材は、一部焼けていますが、炭化したところと生の部分が入り混じっていること、焼土は見られないこと、地面も火を被った痕跡が認められないことなどから、これらの木材や炭はどこからか持ち込まれたものと考えられます。調査が進めばいろんなことが解ると思います。


土の質感が周囲と少し違っていたところを掘り下げた直後の写真です。大量の遺物が出土しています。行司免遺跡は溝が東西南北に走り、遺物を大量に伴う特徴が昨年度の調査で明らかになっています。また、自然の窪地から大量の遺物が出ることもあります。ここも溝の可能性が出てきました。更に掘る範囲を広げ溝かどうかを検証していきます。

2006年05月17日

行司免遺跡第3次(5月8日~5月12日)


昨年、炭が見えていてぼんやりと黒かった箇所を削ってみたところ木材も発見されました。
近日中に精査を行い、これが何であるかを調べます。


ピット(穴)を断ち割ってみたところ、中に土器が埋まっていました。出土状況は、平安時代の地鎮祭の跡とよく似ています。


鉄製品も出土しました。昨年度の調査では平安時代の鉄製品は出ておらず、この遺跡では初の出土となります。

矢馳A遺跡第3次(5月8日~5月12日)


B区面整理  
ジョレンがけをして、遺構検出面を綺麗にします。


矢馳A遺跡遠景(西から)  
高館山から見た庄内平野です。


B区排水作業  
前日の雨で調査区に雨水が溜まりました。柄杓とバケツで排水します。

木の下館跡第3次(5月8日~5月12日)


発掘調査の様子です。曲輪(くるわ)と思われる段を検出しました。


遺構が確認されたため、白線を引きました。住居跡と考えていますが、これから掘り下げていき確認したいと思っています。


木の根元から出土した茶碗の破片です。

興屋川原遺跡第3次(5月8日~5月12日)


調査区の西部は水没していたため、最初の作業は自然流下を狙った排水路の掘削となりました。


昨年12月下旬の積雪の中での調査で置かれたままとなっていた排土を除去し、昨年度の調査面を再検出する作業中です。今週一杯でほぼ終了しました。

岩崎遺跡(5月8日~5月12日)


岩崎遺跡調査開始です。皆で遺構を検出します。土は粘土質のため、とても大変です。


平安時代の柱穴が、たくさん見えてきました。大きいものは直径が1mを超えます。大型の掘立柱建物があったと考えられます。

2006年05月09日

行司免遺跡(4月24日~4月28日)


土捨て場として旧河川を利用しようと思い、掘り下げたところ木が出てきました。
一本の木なのか何本か密集しているのかはまだわかりませんが大木であったであろうことは想像ができます。
また、この付近からは大きい角ばった礫(写真後方)や柱のようなもの(写真右側)が検出されました。


先ほど紹介した柱のようなものや角ばった礫のアップです。
この周りからは平安時代の赤焼土器が流れ込んでいます。大木を含めこれらが何を意味するかを考えていかねばなりません。

矢馳A遺跡第3次(4月24日~4月28日)


A区遺構検出  A区北側で河川跡を検出しました。土が茶色く濁っている部分が河川跡です。


B区面整理  表土掘削後にジョレンがけをします。

木の下館跡第3次(4月24日~4月28日)


トレンチの面整理及び周辺の清掃をしました。このあとトレンチと最上段の写真撮影をしました。


土捨てのためのシューターが完成しました。毎日使っているため、すでに数回の補修をしています。


130段の階段が完成しました。雨の日でも滑らないように、いろいろと工夫を重ね約1週間かかりました。

2006年04月25日

矢馳A遺跡第3次(4月17日~4月21日)

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鍬入れ式
矢馳A遺跡・行司面遺跡・木の下館跡の三遺跡合同で、発掘調査の安全と成果を願って鍬入れ式を行いました。

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遺構検出面確認
表土から遺構検出面までの深さを確認するため、調査区の外周を線掘りをします。

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表土掘削
遺構検出面まで、重機を使って表土を剥ぎ取ります。

木の下館跡第3次(4月17日~4月21日)

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調査区遠景
伐採が終わり、来週から調査をはじめていきます。

kinositatate_0417_2.JPG
調査区の環境整備(階段作り)
傾斜が急なため、階段を作り安全の確保をおこなっています。

行司免遺跡第3次(4月17日~4月21日)

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行司免遺跡は昨年に引き続いての調査です。調査の開始にあたり、無事に発掘を終えられるよう鍬入れ式を矢馳遺跡、木の下館跡の調査メンバーとともに行いました。

gyoujimen_04017_2.JPG
鶴岡市の今冬は、大雪にみまわれました。現場は雪解け水のために、このままでは調査が出来ません。写真は排水用の溝を掘っているところです。本格的な調査を行う前に環境整備が重要となってきます。

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私達の休憩所であり器材庫でもあるプレハブの整備をおこないました。庇をつけて器材を置ける場所を作ったりと、作業員さん達の協力によって、プレハブは使い勝手が良くなっていきます。

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