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2006年09月28日

天王遺跡(9月19日~9月22日)


A区拡張部分の遺構を検出しました。溝や柱穴が見つかりました。


B区の拡張部分です。右下の水溜りからつながる蛇行した川跡と、左側の直線的な溝跡が見つかりました。


川跡の掘り下げを始めました。鎌倉時代頃の陶器や、石臼の破片、平安時代の須恵器などが出土しています。


川跡の最上層から出土した板碑です。2基並んで彫られていたものと考えられます。

檜原遺跡第2次(9月19日~9月22日)


床面が真赤に焼けている遺構を掘りました。この地区からは4ヶ所見つかりました。別の地区からも見つかっています。


秋晴れの日が続きました。絶好の調査日和です。

行司免遺跡第3次(9月19日~9月22日)


調査状況を撮影するために地面をきれいにしています。


白いラベルが集中している箇所が先週紹介した遺物が集中している地点です。

矢馳A遺跡第3次(9月19日~9月22日)


B区 土壙の精査をおこなっています。土師器の破片が出土しています。


C区SG160 河川跡にトレンチを入れて掘り下げます。


C区SG160の包含層からは、土師器の坏・甕の破片などが出土しています。

南田遺跡(9月19日~9月22日)


今週から南田遺跡の調査が開始されました。これは重機を使用して遺構が見える面まで土を取り除く作業です。


面整理を行っています。土の違いをきちんと見分けるために行う作業です。

加藤屋敷遺跡(9月19日~9月22日)


C区のSX16から木簡が出土しました。文字は確認できていませんが、荷札等に用いられたものと考えられます。


以前ご紹介した、D区の東側角の地区を精査したところ、住居跡(ST5)であることがわかりました。床の部分には、粘土が貼ってあるようです。


先ほどの住居跡(ST5)のすぐ隣からも、土器の大きな破片が出土しています。

興屋川原遺跡第3次(9月19日~9月22日)


F区では古墳時代の遺物が出土するところが数カ所見つかっていましたが、最終的には遺構ではないと判断されました。


当初予定した調査の最終日を迎えました。今回の調査で見つかった大きな掘立柱建物跡です。

中山城跡第2次(9月19日~9月22日)


内耳土器という、とても重要な土器を発見して、作業員さんも満面の笑みです。


上大石家から東側を眺めた様子です。山々に囲まれたとてもきれいな景色です。


今週で上大石家の調査を終了しました。来週からはまた新しい調査区を発掘する予定です。

檜原遺跡第1次(9月19日~9月22日)


E区の完掘状況です。細長い調査区で、建物跡と思われる柱跡群と、東西の溝跡を3本検出しました。


D区の全景です。D区から連なる溝跡がL字形に折れ曲がり東に延びています。また、大小のピットや土壙・井戸跡が検出されました。 以上、9月22日で檜原遺跡第1次の発掘調査を終了しました。

上大作裏遺跡(9月19日~9月22日)


調査区の北西端からの全景です。写真奥は建設中の113号バイパスの盛り土です。そこから眺めると・・・


調査区全体を見渡すことができ、絶好の撮影ポイントです。


遺跡は河岸段丘上に立地しており、調査区の端部は元の河道にあたります。底の部分では常時湧水があるため、排水しながらの作業です。

下叶水遺跡(9月19日~9月22日)


河跡(SG2)の下から検出された遺構の精査を行いました。右側の河跡から15m程の範囲に遺構が広がっている様子がわかります。


河跡(SG1)近くの遺構の集中域で遺構を掘り下げてみると、石組みの柱穴や大型の土坑が確認されました。河沿いに当時の集落が広がっていたことがうかがえます。


調査区の東側で、右側の遺構は河跡(SG2)の下層です。河跡(SG1)から遠ざかると遺構が希薄になっていきます。

上野遺跡第2次(9月19日~9月22日)


7a区西部には、縄文時代の風倒木痕があります。その周辺から、縄文土器片が何点か検出されています。


左前方のやや黒ずんだ部分は、縄文時代の風倒木痕と思われます。左後方には、中世の建物址が確認されています。


7a区の東端(現在の住宅地に隣接する部分)は、水気を多く含む砂地の地盤になっています。昨年の一時調査で検出された柱材が、ここでも3点ほど検出されています。


3週間の2期調査も終盤を迎えました。今回の調査は、果樹園地帯を横切る約6m幅の調査区において実施されました。南陽市上野地区の遺跡の広がりが、おおよそつかめてきました。

2006年09月25日

山形市立第十中学校職場体験(9月14日・2年生4名)


山形市立第十中学校の生徒さん4名が来所しました。
まずはセンターの仕事について説明を受けます。


下叶水(しもかのうみず)遺跡から出土した縄文土器を真剣に洗う4人です。
本物をきれいにするのですから、緊張します。


土器彩色にチャレンジ!
直した部分に色をつけていきます。めったにできない仕事を経験しました。

檜原遺跡第1次(9月11日~9月15日)


説明会には、約50名の見学者が訪れました。遺跡の概要 立地と環境、主な遺構、主な遺物について説明し、最後に全体のまとめと質問に答える時間を取りました。晴天に恵まれ絶好の説明会となりました。


今回の調査では、中世から近世の建物跡や土壙・溝跡・井戸跡などが検出されました。そして溝跡からは鎌倉時代とおもわれる甕の一括資料が出土しました。その他、いろいろな陶磁器片が出土しており、これからの研究や分析が期待されます。

上野遺跡第2次(9月11日~9月15日)


雨続きでコンディションが悪いため、ブルーシートを極力かけたまま狭い範囲で精査を行っています。


7c区は、昨年の一次調査における3区に接する地点ですが、昨年の調査時と同様、縄文時代の遺構が点在しています。この柱穴からは、底部壁面から縄文土器片が検出されました。


7a区は、中央の微高地部分に遺構が集中しています。中世の柱穴群に混じって、縄文時代の遺構も散見されます。溝跡または河跡から、縄文土器片が検出されました。

檜原遺跡第2次(9月11日~9月15日)


B区拡張部分の遺構検出作業です。削っている土は、粘土あり、砂ありで変化に富んでいます。


今週は天候が不順で雨の日が続きました。気温も急に下がり、遺構を掘る手が冷たくなってきます。

上大作裏遺跡(9月11日~9月15日)


今週は雨の日が多く、現場での調査ができない日もありました。こんな時、普段は手の回らない事務所周辺の草刈りを行ってすっきりさせました。


雨の影響もあって、日がたつと土の色がくすんでしまうので、再度削り直してから調査にあたります。


調査区からは弥生時代と平安時代の土器が出土していますが、住居跡は見つかっていません。遺構の分布状況などから考えて、写真奥の畑の方が遺跡の中心であったようです。

天王遺跡(9月11日~9月15日)


調査区の南側に新しい工事用道路が完成しました。


今まで工事用道路のあった北側の調査に入ります。テープを張って調査区の範囲を決めました。


雨の続いた一週間でしたが何とか表土除去が終わりました。来週から拡張部分約1,500平方メートルの本格的な調査に入ります。

中山城跡第2次(9月11日~9月15日)


今週は雨の日が多く、テントを張って作業しました。早く安定した天気になって欲しいです。


上大石家から井戸状の遺構が出土しました。直径約1メートルの大きさです。


尻高家の調査を終了しました。写真奥の調査区の端には溝状の遺構があります。道路の下に続いているので、どのように巡るのか確認できませんでした。

加藤屋敷遺跡(9月11日~9月15日)


C区北側で住居跡が確認されました。同じC区内ですが、先週お伝えした住居跡とは、大分離れています。写真中央の黒い長方形の土の部分です。


また、C区では鉄製品も出土しました。今のところ、これ以外に鉄製品は出土していません。何に使われたものか、いつごろのものか興味深いです。


今週は作業中、雨に降られることが多く大変でした。来週は秋晴れを期待したいです。

下叶水遺跡(9月11日~9月15日)


南側の調査状況です。写真の右上に見えるブルーシートで保護しているところは河跡です。調査区北側と同じで、河跡のそばから柱穴や竪穴住居跡と思われる遺構が確認されました。


上の写真の河跡のすぐ西側で見つかった遺構です。大きさは幅2mほどで、小規模な竪穴住居跡の可能性があります。ベルトをかけ、若干掘り下げたところ、川原石が出土しました。


週前半の長雨による遅れを取り戻すべく、少々の雨でも発掘を決行しました。掘る場所以外はビニールシートをかぶせたまま保護して、泥にまみれて作業をしました。作業員さん、ご苦労さまです。

興屋川原遺跡第3次(9月11日~9月15日)


平安時代の調査が終了したE区で古墳時代の遺構の掘り下げを行いました。削平が著しいため竪穴住居跡は見つかりませんでしたが、復元可能な土師器を含む土坑が数基見つかりました。


最後の空撮を行いました。各調査区の平面図用の撮影と、調査区全体の俯瞰撮影を目的としました。

行司免遺跡第3次(9月11日~9月15日)


溝の脇を掘ったところ大量の遺物が出土しました。


地面を掘り下げていくと炭が大量に出てくる箇所に当たりました。写真の中央部に板のようなものがあります。その上に焼けた石のかけらが載っていました。

岩崎遺跡(9月11日~9月15日)


木枠井戸を完掘しました。深さは約1メートル50cmです。下からどんどんと水が湧いてきます。


写真撮影に向けて調査区全体の掃除をしています。最近の雨で調査区内に水溜りが出来たり、泥を被っていたりと掃除も一苦労です。


調査終了後の調査区全景です。もうすっかり秋の風景となり、周りのたんぼでは稲刈りが始まったところもあります。9月15日をもって調査が終了となりました。

矢馳A遺跡第3次(9月11日~9月15日)


12日に県議会の文教公安常任委員会の方々の視察がありました。


D区河川跡からおそらく建物の材に使ったと思われる加工痕のある木材が出土しました。


木材に混じって、土師器の坏が出土しました。

2006年09月20日

第2回「センター改革推進プロジェクトチーム」会議実施(9月15日)

前回の会議を受けて、第2回会議では各担当ごとの課題の整理と、課題の解決にむけての見通しを話し合いました。今年度中に解決すべきこと、来年度へ向けて解決の方策を探るべきこと、来年度以降に長期的に課題を整理すべきこと、などを検討しました。特に契約や業務管理を含む改善すべき点については、見直しに着手するなどスピード感のある対応がなされております。プロジェクトチーム構成メンバーは「柏倉俊夫専務理事・小笠原正道局長・船越真知子課長補佐・原田英明主事・長橋至調査研究主幹・山口博之主任調査研究員・黒坂雅人専門調査研究員・伊藤邦弘専門調査研究員」です。職員一人ひとりが意識を新たにすることが最も大切なことであり、加えてPDCAサイクルを活用して業務の改善を推進していくことが必要と考えております。

*PDCAサイクルとは継続的な業務改善を進行するのに有効なマネジメント手法です。p(計画)→d(実行)→c(評価)→A(改善)の流れをらせん状に実施します。

2006年09月15日

文教公安委員会視察(9月12日)


県議会文教公安常任委員会の委員の方々が視察においでになりました。


鶴岡市矢馳遺跡を視察されました。


日沿道関連事業であることや埋蔵文化財センターの業務内容について説明させていただきました。


あいにくの雨天のため、調査事務所内で説明させていただきました。


調査担当者が古墳時代の土器について説明しています。


雨天の中調査の状況を視察いただきました。

2006年09月14日

行司免遺跡第3次(9月4日~9月8日)


今年取り上げた木棺墓の周りを掘り下げていますが、どこも壊れていない土器が出土しました。


上の写真で紹介した土器をひっくり返したところです。裏面には「穴」「太」と考えられる文字が書かれていました。

檜原遺跡第1次(9月4日~9月8日)


南北に細長いE区の中央部から北側にかけて調査が進みました。突然の降雨で冠水することもありましたが、予定通り作業が進んでいます。


E区の中央部に検出した幅5mほどの溝跡を調べました。深さが1m50cmほどもありました。遺物は陶磁器が数点出土したのみでした。

岩崎遺跡(9月4日~9月8日)


木枠井戸の現在の状況です。木枠がしっかり組まれているのが見て取れます。


柱穴の完掘作業を行っています。700基程あった遺構があっと言う間に掘りあがっていきます。

中山城跡第2次(9月4日~9月8日)


今週から上大石家という新しい調査区の発掘を開始しました。どんなものが出るか楽しみです。


先週お伝えした遺構から伸びている溝を検出しました。どうやら配水用の溝のようです。


われらが頼もしい作業員さんたちです。秋も近づいていますが、まだまだ暑い日が続くので小まめに休憩をしています。

檜原遺跡第2次(9月4日~9月8日)


遺物が土坑から出土したようすです。須恵器の坏や壷、甕、土師器の坏などの種類が見られます。


遺跡の広がりが確認されたことから、B区の拡張がはじまりました。拡張した面積は、約1,000㎡です。

天王遺跡(9月4日~9月8日)


調査の終了した南側に工事用の仮設道路を作っています。


仮設道路の工事の間、遺構の測量を行ないました。


調査区の中央に流れている溝の断面を記録しました。最下層には水が流れていたことを示す砂が堆積していました。上層には砂と泥が交互に堆積しています。

矢馳A遺跡第3次(9月4日~9月8日)


RQ46出土状況 ST981から出土した石製の紡錘車です。


RP47出土状況 ST981から出土した須恵器の底です。裏に刻印があります。


A区ST981遺構精査 この竪穴住居跡は、残念ながら西半が道路の下に埋まっています。今週は、遺物を残しながら床面まで掘り下げました。石製の紡錘車や、須恵器の坏・甕が出土しています。

上野遺跡第2次(9月4日~9月8日)


今回の調査区は、ぶどう園だったところです。ぶどうの収穫を待って、第二期調査の開始です。


約6メートル幅の細長い調査区の表土を重機で除去していきます。


この区画からは、水道管敷設による撹乱が見られる以外、特別な遺構は検出されませんでした。

興屋川原遺跡第3次(9月4日~9月8日)


1001号建物の掘り方を断ち割りました。径30cmほどの柱痕跡(アタリ)が明確に認められました。しかし、確認面からの深さは浅く、この地域が建物のあった時代より数十cmも切り取られ、残念ながら多くの遺構はすでに削り取られたことが明らかとなりました。

下叶水遺跡(9月4日~9月8日)


埋設土器のあった河跡(SG2)の下から柱跡や貯蔵穴と思われる遺構が検出されました。写真右側の黒く広がっている遺構は河岸です。遺構は河跡から15m程の範囲に分布しており、河跡から遠ざかるにつれて遺構が希薄になっていきます。


北西側の調査状況です。写真右側の黒く帯状に伸びる遺構は河跡(SG1)です。西側には、シルト層と砂利の地盤が広がっています。河跡すぐそばの安定したシルトの地盤には、柱穴跡や土坑など遺構が分布しています。


写真は柱穴(SK327)の半截状況です。矢印で示した範囲は柱の跡(アタリ)になります。この柱穴跡は、周りに石を組んで、柱をしっかり固定していたことが窺えます。

加藤屋敷遺跡(9月4日~9月8日)


今週は調査区の真ん中にあたる、C区とD区の遺構を主に掘り下げました。


D区の東側角の地区から、土器の破片がまとまって出土しました。大形の破片も含まれおり、どういう場所だったのか、さらに調査を進めていきます。


C区では竪穴住居跡が確認されました。奈良時代~平安時代のものと考えられます。遺物のほかに、焼けた土の跡も見つかりました。今後が楽しみです。

上大作裏遺跡(9月4日~9月8日)


週の前半は好天に恵まれ、発掘調査も順調に進みました。


木曜日の雷雨により、金曜の朝はご覧のような状況に。排水を終えてて土が乾くまで、この箇所には入れそうもありません。


調査区の地盤は砂地の部分が多いので、水捌けは良好です。後方の低地が乾く間、ほかの遺構を掘り下げていきます。

2006年09月07日

檜原遺跡第1次発掘調査説明会

檜原遺跡第1次調査の説明会を開催します。
ぜひご参加ください。


日時 平成18年9月15日(金) 午後2時~

場所 南陽市大字西落合 檜原遺跡第1次発掘調査地内 地図

成果
 南陽市の西部・沖郷地区に所在し、遺跡中央を南北に走る上無川の自然堤防上に位置します。
 今回は、遺跡の南西部を調査し、中世や近代の遺構・遺物が検出されました。特に南北に走り、L字に屈曲する区画溝からは、中世陶器も出土しています。その他、多数の柱穴が検出されました。
 調査区南側の薬研堀以南には多数の建物跡が存在しており、当該地域を支配した有力者の屋敷跡などを想起させます。南側の区画からは瓷器系陶器などの遺物も出土しています。
 これらの遺構・遺物は、当市中世史の1ページを飾るもので、以後の当地方の歴史認識に一石を投じる調査結果と言えます。

問い合わせ
現場携帯 090-1939-4341
埋蔵文化財センタ- 023-672-5301

2006年09月05日

矢馳A遺跡第3次(8月28日~9月1日)


A区南  調査区全体を約5センチ下げ、遺構を再検出し、遺構精査を行っています。


A区南  溝跡と土壙が検出されました。今後、土層断面から、遺構に堆積した土の様子や、遺構同士の切り合いを確認します。

檜原遺跡第1次(8月28日~9月1日)


調査区から県道をはさんで西に地蔵堂と板碑がたっています。加藤和徳氏は『中世奥羽と板碑の世界』(共著)の中で、板碑を紹介しています。これによると板碑の主尊は阿弥陀如来で、正面下に永仁2(1265)年の年紀があるようです。


調査区南側の柱穴の集中域を写したものです。北側に東西に溝が走っており、その遺構より南側に多数の柱穴が存在します。


区画している溝です。断面形がV字になっており、薬研堀のようになっています。幅が1間ほどで、検出面からの深さは1mを超えています。

岩崎遺跡(8月28日~9月1日)


8月27日に現地説明会を行いました。70名以上の方々が見学に来て下さいました。ありがとうございました。


木枠の井戸を掘り始めました。慎重に木枠の部材を外していきます。土が崩れないように気をつけて堀って行きます。

玉作遺跡第2次(8月28日~9月1日)


トレンチ掘作業
8/31をもって調査が終了しました。

行司免遺跡第3次(8月28日~9月1日)


近世まで使われていた溝跡が調査区にはあります。調査の進行に伴い掘り下げていったところ砂が出てきました。もしかすると、この溝の古い流れかもしれません。


1枚目の写真の奥の方を部分的に掘り下げました。すると杭もしくは柱根のようなものが出てきました。


須恵器の坏がほぼ完全な状態で出ました。内側は真っ黒になっています。

下叶水遺跡(8月28日~9月1日)


沢跡(SG1)から出土した遺物の取り上げ作業です。土器がつぶれて破片がまとまった状態なので、周りの土ごと取り上げを行っている状況です。


調査区西側に位置する柱穴・土坑群の半截(はんさい)作業に入りました。


写真は、今まで沢跡から出土した土偶(どぐう)です。土偶とは人の形につくった土の人形で信仰的な遺物ではないかとされるものです。出土した土偶は、目・鼻・口がはっきりと表現されており、なかには女性の特徴を誇張したものもあります。

加藤屋敷遺跡(8月28日~9月1日)


先週お伝えしたA区の井戸跡です。周りに少し石がありますが、素掘りの井戸のようです。


B区の溝跡も先週に引き続き、掘り下げました。深さは、80cmくらいあります。


C区の遺構検出作業の様子です。

中山城跡第2次(8月28日~9月1日)


縄文調査区の東端から出土しました。円状に石が積まれています。詳細は不明ですが、今後の調査で明らかにしていきます。


縄文調査区の東端まで調査を進めました。この地区の調査はあと少しで終了です。

上大作裏遺跡(8月28日~9月1日)


調査区縁の部分は元々の地形が低地であり、耕地整理の際に平坦化されたようです。掘り下げると、土器や石器の小さな破片が数多く出土しました。


土器は今から約2000年前の弥生時代中期のものと、平安時代のものが混在しています。弥生土器は昨年調査した百刈田遺跡のものと似ており、同年代と思われます。


遺跡から南陽市街地方面(東方)を望みました。雨上がりの後で虹がかかり、空気も秋の気配を感じます。

天王遺跡(8月28日~9月1日)


今週はほぼ掘りあがった調査区の空撮を行ないました。撮影前の掃除の様子です。雨が降ったりやんだりの天気の中での作業でした。


ラジコンヘリで撮影しました。


調査区の中央を流れる溝の跡です。溝の底や壁は、水の流れで複雑な形に削られています。

興屋川原遺跡第3次(8月28日~9月1日)


2間×4間(手前1002)、2間×3間以上の建物(奥1001)です。同じ軸線上に並んでいます。


2間×3間の東西棟で、1003と隣接します。掘り方の規模は1001、1002と比べ小規模です。


来週の空撮に備え、E区では澄みきった秋空の中で、遺構内に溜まった雨水を排水し、周囲の清掃に入りました。

檜原遺跡第2次(8月28日~9月1日)


B区の南側の遺構精査に入りました。ここからは何が見つかるでしょうか。


先週に引き続き、真赤に焼けた床面を持つ遺構その2です。奥のほうに溝状に掘り込まれたところがあります。

2006年09月01日

「センター改革推進プロジェクト」発足


本年8月7日~10日までの期間に亘り、山形県埋蔵文化財センターは外部監査を受検いたしました。その結果、センター運営の見直しを含む重要なご指摘を受け、当センターではこのご指摘を真摯に受け止め、8月30日に「センター改革推進プロジェクトチーム」を発足させました。今後、課題の洗い出しと改善に努め、引き続き県民に親しまれる山形県埋蔵文化財センターの体制の構築に努力してまいります。

天王遺跡(8月21日~8月25日)


B区の調査も大詰めです。幅1~2m程の溝を皆で掘り下げました。


幅30センチ程の溝が4~5本並んで見つかりました。このようなまとまりが数ヶ所見つかっています。畑の跡と考えられます。

中山城跡第2次(8月21日~8月25日)


引き続き縄文調査区を掘り進めています。今週から新しい区域を調査します。写真は、遺構を検出したところです。


縄文調査区で検出した細長い遺構を掘っているところですが、あまりの深さで、はいつくばって掘らないと手が届きません。


とても小さなピットから、縄文土器や多くの炭化したクリの種子が出土しました。何に使った穴でしょうか?

興屋川原遺跡第3次(8月21日~8月25日)


F区では南北棟の1001号、1002号から離れた位置に、軸線を同じくする2棟の東西棟の建物が見つかっています。その掘り方を精査している様子です。


1001号の掘り方より少し小さくなりますが、梁行き2間、桁行き4間の掘立柱建物跡です。1001号建物跡の北に隣接する、おそらく同時期の建物と考えられます。


F区で見つかった梁行き2間、桁行き3間以上の大きな掘立柱建物跡です。建物の半分は調査区外となっています。

行司免遺跡第3次(8月21日~8月25日)


性格不明の遺構が検出されました。板材を使用しています。


発掘調査は次の段階に入ろうとしています。今までよりも更に古い時期にさしかかりました。地面を削ったところ大量の遺物が出土しました。箸の立っている箇所が遺物の出た箇所です。

岩崎遺跡(8月21日~8月25日)


木組み井戸を半截しました。一辺が約40センチ程しかない小さな井戸です。深さも30センチ位なのですがきちんと水が湧いてきます。


岩崎遺跡の全景です。夏の日差しも段々弱まり、少しずつですが秋の風景に変わりつつあります。

矢馳A遺跡第3次(8月21日~8月25日)


C区井戸跡調査状況 木枠の内部を掘り下げました。縦型の木枠内に、横木が渡されて固定されていることが分かりました。遺物は土師器の破片数点が出土しています。

檜原遺跡第2次(8月21日~8月25日)


床面が真赤に焼き締まっている遺構です。同じような遺構がもう2箇所で見つかっています。何に使われたのでしょうか。


古い川跡の一部を掘りました。川底から平安時代の土器が見つかりました。

檜原遺跡第1次(8月21日~8月25日)


8月21日いよいよ調査が開始されました。これは鍬入式の模様です。炎天下の中行われました。


調査区は1,275㎡で南北に長く、途中用水路があるため、便宜上北側をD区、南側をE区としています。これは、面整理の模様です。地山は粘土混じりの砂でとてもかたく、作業も大変です。


面整理の後、遺構検出を調査員が行い、その線にそって白線がひかれます。これは、調査区全景を北側から写したものです。区画溝が南北に走っているのがわかります。

加藤屋敷遺跡(8月21日~8月25日)


A区の井戸跡と思われる遺構です。今後、さらに掘り下げていきます。


B区の溝跡と思われる遺構を掘り下げました。水が出てくるため、作業員さんも掘るのが大変だったようです。


B区の溝跡と思われる遺構から、勾玉が出土しました。

玉作遺跡第2次(8月21日~8月25日)


現場も終盤戦に入りました。来週からは測量や写真撮影などの記録を中心とする作業を行います。




上大作裏遺跡(8月21日~8月25日)


遺跡は奈良・平安時代の集落跡で、周辺より一段高い台地上に位置します。現表土からは深いところで約80㎝下まで掘り下げると当時の生活の痕跡が見つかります。


調査区内には、さくらんぼなど切株が残されたままです。重機で抜き取ると、遺構が壊れるので注意深く人力で抜根します。


調査区の東域を見たところです。地面には黒い土が円形や溝状に現れてきます。これらが何かしらの遺構で、これから掘り下げていきます。なお、工事用の盛土の先が「天王遺跡」です。

下叶水遺跡(8月21日~8月25日)


沢跡(SG1)の東側から石棒が出土しました。棒の先をこぶ状にふくらませた部分がよく残っています。


今週の土曜日に、ダム湖となる旧街道を歩く「湖底ウォーク」が催され、約150名の皆さんが遺跡の見学に訪れました。


今週は沢跡(SG1)の右岸に位置する遺構群の半截作業を行ないました。

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